ギュンター・ヴァントのモーツァルト(その2) 肅肅如松下風、高而徐引。 肅肅として松下の風、高くしておもむろに引くがごとし。
巌巌若孤松之独立。 巌巌として孤松の独立するがごとし。
これらは、“竹林の七賢“のひとり魏の嵆康(223-262)の風采に秀でたさまを同時代人が自然の譬喩をもって評したものです(『世説新語』容止篇)。
ギュンター・ヴァントが遺した半世紀も前の録音群を聴き返しながら、如上の評語が何度も思いおこされました。
ヴァント生前からCD化が待望されていたギュルツェニヒ管弦楽団との一連の録音が、死の翌年、ライセンスを受けた英TESTAMENTから次々と発売。モーツァルトにあっては、シンフォニーを中心に全11曲が含まれ、いずれも丁寧な復刻により優秀な音質で名演がよみがえりました。1954年から1965年にわたる録音で、セレナード2曲を除いてすべてステレオです。亭主個人としては、後年のBMGによる最新デジタル録音よりもずっと良好な音質であり、ヴァントの美点を存分に伝えていると思います。
50年代から60年代初頭といえば、モーツァルト生誕200年(1956)を挟み、かつステレオ録音が本格化した時代であって、往年の名演が陸続生まれた頃ですよね。
ワルター(コロンビア響)、セル(クリーヴランド管)、クレンペラー(フィルハーモニア管)、ベーム(ベルリン・フィル)、ヨッフム(アムステルダム・コンセルトヘボウ管)等々のモーツァルト・シンフォニー録音が誕生しました。
これらは、近年のピリオド楽器による演奏が主流となる中にあっても(否、だからこそ)、価値を失わない定盤として、LP→CDと長年にわたり各国で再発され続けてきました。しかし、取り残されてしまった幻の名演もたくさんあるのであって、それらはどうやら演奏云々ではなく、原盤所有者のマイナー性・ローカル性に起因しているように思われるのです。
TESTAMENT復刻によるこの一連の録音は、フランス・ユニバーサル傘下のミュジディスク原盤ですが、もともとはクラブ・フランセ・デュ・ディスク(Club Français du Disque)が制作したものです(モーツァルト11曲を含む全43曲が録音された)。この会社は、フランス国内の「会員制」の書籍・レコード販売会社であり、予約した定期購買の顧客にむけて商品を届けるわけですから、レコード店の棚にLPなりが置かれることはなかったのですね。ヴァント―ギュルツェニヒ管のレコードは、初めからコロンビアやEMIといった大手の国際的商業ベースに乗らなかったのです。
もちろん60年代の終わりに権利が、これまた大手とはいえない仏ミュジディスク社に譲渡された後には、一般にもLPが発売されましたが、とくに普及しないまま、ヴァント生前には結局CD化もされずにあったのです。このことは、(まったくの推測ですが)ヴァントの意向によるものではない、と思います。というのもヴァントは晩年のインタビューで、この古い録音群について次のように発言しているからです。少々長文の引用になります…
この共同作業は全体として、私にとってとても素晴らしい仕事でしたし、芸術的な成果も抜群に満足のいくものでした。今でも私は、これらの録音を――現在の私の演奏とも、それにもちろん現代のデジタル技術とも違うのですが――素直に聴けますし、恥ずかしく思うこともありません。……とにかく、何年後になっても点検されるとすれば、演奏技術面で完璧であるだけでなく、とりわけ聴いて価値のあるものを作るようにしないといけないと考えていました。偶然的なものではなくまともなものを、瞬間的な思いつきの記録などではなく(「芸術家の気まぐれ」などお話になりません)、何か意味あるもの、あとになっても落ち着いて向き合えるようなものを作りたいと望んだのです。……私がオーケストラの演奏において、コンサートでもレコードでも同じように正しさと完璧さを最も重視していることに気がついてほしいのです。これらのレコードは何年後になっても聴けるものでありたいし、いつまでも価値あるものであってほしいのです。今日これらの古い録音をもう一度売り出したとしても、人々はすぐに、指揮者が、新しいCDに登場しているのと同じ人物であることに、気づかれると思います。 (ヴォルフガング・ザイフェルト:根岸一美訳『ギュンター・ヴァント―音楽への孤高の奉仕と不断の闘い―』、p.220-221、音楽之友社、2002)
その昔、亭主がLPで聞き流して以来、どれくらい経ったでしょう。今回、一連のTESTAMENT復刻盤4枚を聴き返して、上掲の言葉の前に深く反省いたしました。
音楽評論家でピリオド楽器によるモーツァルト演奏に造詣の深い安田和信氏が、だいぶ以前、あるライナー・ノート(アーノンクール関係)で、
90年代に入ると、歴史的楽器によるモーツァルト演奏にも我々の耳は馴染んできた。とくに録音の多い後期の交響曲では、新しい録音が現れても、「耳から鱗が落ちる」ような新鮮な体験というものが味わいにくくなったように思われる。かえって「歴史的録音」のほうにハッとさせられることが多い。と書いておられましたが、まさしく亭主の最近の心境と懸隔ない意見であります。この復刻盤は、今となってはやはり一般的なものではなく、皆さんにお薦めする、といった類ではありませんが、亭主のようなものには、非常に新鮮な体験でありました(だいぶ以前一度聞いているはずなのに)。
さて、復刻盤の詳細は以下のようになっています。寸評とともに…
TESTAMENT復刻:ギュンター・ヴァント―ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団のモーツァルト
原盤:クラブ・フランセ・デュ・ディスク(Club Français du Disque)→ミュジディスク(Musidisc)
■TESTAMENT:SBT1302 *MONO
セレナード第7番 K.250《ハフナー》 [1954]
セレナード第9番 K.320《ポストホルン》5楽章版 [1959]《ハフナー・セレナード》は、ヴァント初の録音とされるもの(後述あり)。両曲ともにバイエルン放送響、北ドイツ放送響との録音もあるので、3種ずつ音盤があることになります。こんな指揮者はおそらく唯一でしょう。演奏会では頻繁に取り上げていたようなので、音源としてはなお多く残されているものと思われます。
上掲盤の演奏は、少々神経質な演奏ですね。曲が曲だけに、少し辛口に過ぎる印象です。亭主としては、「ギュンター・ヴァントのモーツァルト(1)」で紹介したバイエルン放送響とのライヴ録音が最高だと思います。死去前年の「ハンブルク・ライヴ2001」の《ポストホルン・セレナード》も燃えておりますがね(90歳老人の演奏とは信じられない!)。

北ドイツ放送響盤《ポストホルン・セレナード》
「ハンブルク・ライヴ2001」所収

■TESTAMENT:SBT1303 *STEREO
セレナード第13番 K.525
《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》 [1957]
交響曲第33番 K.319 [1957]
交響曲第34番 K.338 [1965]ふだん滅多に聴かなくなっている《アイネ・クライネ》が楽しめました。大仰なところのない丁寧な演奏です。終楽章コーダでもバスをゴリゴリと鳴らしたりせず、ほどよいバランスで響かせます。その昔、吉田秀和がジョージ・セルの《アイネ・クライネ》のレコードを期待もせずにかけて覚えず感動した、という相変わらずの“秀和口調”文章を思い出しました。
しかし、実は、このレコードで、ハッとするのは、この面(《ポストホルン》)ではなくて、もう一方のセレナーデ(《アイネ・クライネ》)の方である。この方はお互い、いやになるほど散々にきかされてきたものだし、私など、もうレコードに入っていたって、ほとんどかけたことはない。だが、《ポストホルン》が、あんまりモーツァルトらしくない演奏であり、――というより――少しもモーツァルトらしくやろうとしていない演奏なので、では、この商標みたいにやたら使われてきた、あまりにモーツァルト臭いモーツァルトの音楽を、どうやるのか知らと、私も少々好奇心をそそられてかけてみた。 ところが、これが良いのである。ちっとも、通俗的でなくて、甘ったるくなくて、むしろ必要にして十分なことを、しかしまた、はしのはしまでていねいにはっきりと演奏しているだけで、ほかのことは何もしないのに、毅然として雄々しく、高雅にして、時に荘重でさえある音楽となってきこえてくるのである。 (『レコードのモーツァルト』、中公文庫、1980、上掲文章は、1972年『ステレオ』誌初掲載)
以上の長い引用が、吉田をして「乾燥したロココの味わい」と言わしめたセルの《アイネ・クライネ》評です。これは、ヴァントの《アイネ・クライネ》演奏にもほぼそのままあてはまる、といっていいと思います。もっとも「乾燥した」=「干からびた」、ではないことは当然ですが、セル―クリーヴランド管よりもずっと渋い、やはりドイツの響きなので、亭主としては、「燻(いぶ)されたロココの味わい」とでも呼んでおきましょう。
※長くなったので、続きは(3)にて……(ひと休み) 【つづく】テーマ:クラシック - ジャンル:音楽
- 2008/05/18(日) 21:10:15|
- 指揮者
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「ギュンター・ヴァントのモーツァルト(1)」 追補 *少々長文なので、後続させず別頁としました。拙文上網後、北ドイツ放送響との《ハフナー・セレナード》が2002年初頭にリマスタリング再発売されていることを知り、早速在庫のある店を探して買い直してみました。「ヴァント90歳記念リリース」のひとつで、モーツァルト三大交響曲との2枚組です(BVCC38164〜5)。

リマスタリング盤

初出盤
ヴァントは、同年の2月14日に亡くなりましたので、このシリーズ発売直後ということになりますね。
さて、再購入一番の収穫は、リマスタリングの出来なんぞよりも、ライナー・ノートがリニューアルされたということで、音楽評論家・舩木篤也氏の「『導きの星』――ヴァントのモーツァルト」が附載されていたことです。これは、まことに懇切詳細なノートであり、勉強になりました。タイトルにある“導きの星”とは、ヴァント自身がモーツァルトを指すに使った呼称です。なかなかカッコヨイことをいいますなあ(独語ではどういうのだろう…)。
舩木氏は、冒頭次のように述べ、亭主と同じような感慨から書き起こされておりました。
「指揮者90歳の誕生日を目前に、先ごろギュンター・ヴァント指揮北ドイツ放送交響楽団によるモーツァルト《ポストホルン・セレナード》の新録音がリリースされた。その溌剌とした音楽を聴きながら、彼らの《ハフナー・セレナード》が初めて世に出たときのことを思い出す。没後200年とかで、この作曲家にまつわる商品が似非ザルツブルク風のパッケージにくるまれて市場に雪崩れ込んでいた頃のことである。このお祭りから締め出されたような形で、それは輸入レコード店の片隅にそっと置かれていた。当時はまた「古楽器によるモーツァルト」が全盛を極めようかという時代。モダン楽器によるこの演奏は、――知名度が高いとは言えなかった指揮者の名と相俟って――話題になりにくかったのかもしれない。…」
拙文にて述べたごとく、まったくその通りの体験を、大学生であった亭主自身がしていたのですね。
続いて舩木氏は、ヴァントとモーツァルトとの親密な関係を、やはりそのオペラとのかかわりから書いておられます(主な情報源は、Wolfgang Seifert,“Günter Wand:So und nicht anders. Gedanken und Erinnerungen”とのこと)。
38年(26歳!)、デトモルト歌劇場での《魔笛》成功のこと、戦後の幕開けをケルン歌劇場での《魔笛》で飾ったこと、35年間におよぶそこでの最後の仕事が《コシ・ファン・トゥッテ》であったこと、68年、自身最高の出来と回想したフランクフルト歌劇場での《ドン・ジョヴァンニ》のこと…。
しかし、氏もヴァントのモーツァルト・オペラ録音の存在についてはまったく触れていないので、やはり残されていたとしても未だ市場には出ていないのでしょうかね。亭主もこの件に関して調査したわけではないので、正確なところはわかりませんが(博雅の示教を俟つ!)。
最後に氏は、北ドイツ放送響との交響曲第40番の演奏について、こまかに分析されております。このような舩木氏ですから、陸続発売されるPROFIL盤のヴァント演奏にも多大な関心を寄せておられることでしょうね(多分、どこぞでコメントされていると思いますが)。
なお、舩木氏が主に参考としたヴォルフガング・ザイフェルト著の上掲書は、『ギュンター・ヴァント―音楽への孤高の奉仕と不断の闘い―』(音楽之友社、2002)として邦訳書が刊行されております。すみません、亭主はまだ読んでいません。遅ればせながら「このところ気なり始めた」指揮者なもので…。詳細なディスコグラフィー附きらしいので、オペラ録音に関する知見が得られるやもしれません。ただいま取り寄せ中! 以上、取り急ぎ追補いたします。

ヴォルフガング・ザイフェルト著
『ギュンター・ヴァント―音楽への孤高の奉仕と不断の闘い―』
(音楽之友社・2002)
テーマ:クラシック - ジャンル:音楽
- 2008/05/06(火) 16:47:00|
- 指揮者
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ギュンター・ヴァントのモーツァルト(その1) 春の野に すみれつみにと来し吾ぞ 野をなつかしみ 一夜ねにける 山部赤人
(『萬葉集』巻八)
野の草を摘むという行為は、実は神事であって、“予祝”を意図する宗教的行為なのですよ。うららかな今日、野辺にてスミレを手折ってみました。
ここ数日暑いくらいの連休、いかがお過ごしでしょうか。今年、亭主はゆるりとまとまった音盤を“聴破”しようと思います。普段なかなかに聴き通せないオペラのCDやDVDを視聴するのもよいのですが、何かテーマを決めて聴き込む、というのもオツなものですな。
今回は、このところ(いまさら)気になっているギュンター・ヴァントのモーツァルトについて少し…
ヴァントといえば、日本ではブルックナー指揮者として、その晩年を中心に熱狂的支持を得ましたけれども、彼のモーツァルトは…、といえば北ドイツ放送響との三大シンフォニー(下掲)と《ハフナー・セレナード》(89、BMG)、《ポストホルン・セレナード》(01、BMG)が国内発売されたくらいで、“ヴァント=モーツァルト”の図式は当然のごとく生まれず、また日本の愛好家もそんな図式をそもそも欲してはいなかったわけですね。《ハフナー》発売のおりは、某誌に「珍しいヴァントのモーツァルト」なんて書かれていましたもの…。
■BMG:BVCC37208
*入手可能なRCA RED SEAL BEST100シリーズ
交響曲第39番(1990年録音)
交響曲第40番(1994年録音)
交響曲第41番(1990年録音)
ギュンター・ヴァント指揮、北ドイツ放送交響楽団しかし、ヴァントの将来を決定づけた少年期の原体験にモーツァルトの《魔笛》があり、終生最愛の作曲家がモーツァルトであったことを知るにおよべば、これは捨ておけませんよ。第一、彼のブルックナーを聴けば、これはもうモーツァルトにもふさわしいバランス感覚の持ち主だと一聴理解できます。実際、音盤として国内発売されていなかっただけで、ヴァント自身は昔から盛んにモーツァルトを演奏会で取り上げていたのです。
とはいえ、わずかながら国内発売された三大シンフォニーのライヴは、BMGの録音が悪いですよね。ヴァントがモーツァルト演奏でも気をつかっているバランスの妙を、ことごとく塗りつぶしているようなところがあり、ふつうに聞き流すとそのあたりがよく聴取できず、凡演だと感じる可能性大なのです。亭主も上掲盤については、一聴して棚の片隅に追いやったままにしておりました。
実は、最初に聴いたヴァントのCDは、確か既述90年秋発売の《ハフナー・セレナード》だったのですが、その頃は亭主の方がまったくもって未熟でありまして、大学生協で2割引購入したまま、しばらくは封も開けないという扱い。大編成の演奏に嫌悪を感じて、深く聴かないまま死蔵してしまったのでしょう。
亭主も大学生時代は、かなり尖っており、漢語風に云えば圭角鋭く…まあ、要は単にツンツンしておったわけですが…、ワルターやベームを古臭いと切って捨て、アバトやムーティを若造めと言い放ち、カラヤンをケロヨンと嘲り、ドイツ・グラモフォンやデッカのメジャー・レーベルCDなんぞ買うものか、商業誌を焚書しろなどと高らかに宣言しておりましたよ。
学内の音楽愛好サークルを敵にまわしつつ、夜な夜な一杯ひっかけながら一部の同志と熱く音楽について語りあっていた過激なモーツァルティアンは、アーノンクールを信奉し(今でも好きですが)、モダン楽器で真のモーツァルト演奏はできない、と本気で信じていた時代ですからねえ、「ヴァントのモーツァルトだって?…しゃらくせえっ!」なぞとほざいていたかもしれませんね…いや、絶対に(嗚呼、恥ずかしい…)。
今の亭主はそんなんじゃあありませんが、しかし、聴き返すきっかけでもなかったら、おそらく“ヴァントのモーツァルト”という言葉はずっと口にはのぼらなかったでしょうねえ。
そんななか、ドイツから初出のライヴGünter Wand Editionが陸続出始めたのです。従来、海賊盤としては知られていた録音も含まれますが、今回はもちろん正規音源によるもので、音質明瞭なことは比ぶべくもありません。
レーベルはPROFIL。あのHänsslerの社長だったギュンター・ヘンスラーが退社後(2004年)に設立したレーベルです。おそらく要所に顔が効くのでしょうね、西ドイツ放送やバイエルン放送のアーカイヴから良質の音源を発掘し、丁寧にリマスタリングしております。既に20枚以上は出ていると思いますが、亭主が購入したモーツァルト関連の音盤は以下の5枚です。いずれも60年代後半、ケルン放送交響楽団の指揮者だった時代以降のライヴ録音です。その前に、ちょっとヴァントの基本情報を…
ギュンター・ヴァント(1912-2002)。マルケヴィッチ、チェリビダッケ、ショルティと同年の生まれですね(へえ、ショルティと…違えば違うもんだ)。1939年ケルン歌劇場の指揮者就任(《魔笛》の成功がきっかけ)、大戦後ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団、ケルン放送交響楽団を率い、主にケルンを拠点に活動、1982年にハンブルクに移り北ドイツ放送交響楽団の指揮者に就任、90年に勇退するも最後まで演奏継続。なぜか晩年、日本で人気沸騰。

■PROFIL:PH04053 *Günter Wand Edition Vol.1
セレナード ニ長調 K.250《ハフナー》全曲
コンサート・アリアK.528「愛しい人よ、さようなら」
バイエルン放送交響楽団、エディト・ヴィーンス(ソプラノ)
録音:1982年5月21日、23日、ミュンヘン・ヘラクレスザール《ハフナー》は北ドイツ放送響とのスタジオ録音(89、BMG)に先立つ演奏。First Classicsから海賊盤(FC125)が出ていましたが、音質は断然今回の盤が良いです。
バイエルン放送響の弦、そして木管群の響きに魅了されます。ヴァントはこの曲、《ポストホルン》と並んでかなり好きだったようですね。ケルン時代から3種の録音が知られています。
■PROFIL:PH05006 *Günter Wand Edition Vol.6
セレナード ニ長調 K.239《セレナータ・ノットゥルナ》
北ドイツ放送交響楽団
録音:1990年5月、ハンブルク
フルート協奏曲第1番 ト長調 K.313
北ドイツ放送交響楽団、ヴォルフガング・リッター(フルート)
録音:1988年12月、ハンブルク
セレナード ニ長調 K.320《ポストホルン》
バイエルン放送交響楽団
録音:1978年12月、ミュンヘン・ヘルクレスザール各々海賊盤はありましたが、正規音源盤としては初出でしょう。音質は極めて優秀で、ヴァント特有のバランスをリアルに伝えております。
《セレナータ・ノトゥルナ》は、小品ながら80歳近いヴァントが楽しそうに指揮している姿が髣髴とする演奏です。モーツァルトの《ドイツ舞曲》も好きな人ですからねえ(BMGに録音あり)。第1ヴァイオリンの歌い回しが、少々甘ったるいのですが、オケ全体の響きはよいですよ。第3楽章における各楽器による即興アインガングはありません(残念ながら…)。
フルート協奏曲は、ちょっと驚きました。フルートの音色が派手すぎず、ヴィブラートも控えめでたいへんに佳いのですが、ヴァントの指揮がすごい! 伴奏音型のうちでもここまで内声を聴覚可能せしめるとは…(録音の関係か)。他の指揮者がやったら、かなりアザトイでしょうねえ。
《ポストホルン》は、この曲にそれが必要か否かはともかくとして《ハフナー》同様、風格と若々しさとを両立させた名演。北ドイツ放送響盤よりも必聴盤です。
■PROFIL:PH05043 *Günter Wand Edition Vol.11
《聖体の祝日のためのリタニア》 変ホ長調 K.243
バイエルン放送交響楽団・合唱団、マーガレット・マーシャル(ソプラノ)
録音:1982年1月21日、ミュンヘン・ヘラクレスザール
コンサート・アリア「みじめな私、ここはどこ」 K.369
コンサート・アリア「愛しい人よ、さようなら」 K.528
ケルン放送交響楽団、マーガレット・マーシャル(ソプラノ)
録音:1980年6月13日、ケルン
歌劇《フィガロの結婚》序曲 録音:1969年9月13日
歌劇《コシ・ファン・トゥッテ》序曲 録音:1968年10月2日
歌劇《魔笛》序曲 録音:1968年2月3日
ケルン放送交響楽団、ケルンこのリタニアを演奏したあたり、ヴァントが相当のモーツァルティアンである証左となりましょう。この曲としては亭主にはかなり重い演奏ですが、聴き込んでしまいました。就中Pignusにおける二重フーガの処理はさすが! この大編成・大合唱でこの見通しのよさ…、並の棒裁きではかないません。
プラハで作曲されたコンサート・アリアの白眉K.528は、ヴァントお気に入りだったのでしょうね。上掲Vol.1にもバイエルン放送響との録音(82年)が入っています。ヴィーンス盤は熱唱系、当盤のマーシャルはもっと可憐な歌声で、魅惑されます。ヴァントの伴奏は懇切で、10分間まったく手を抜いていません。ここまで深い曲だったかあ…。
ケルン放送響との序曲3種は、寡聞にしてヴァントのモーツァルト・オペラ録音を知らない亭主には貴重ですが、もうひとつといったところでした。
■PROFIL:PH06001 *Günter Wand Edition Vol.14
《主日のためのヴェスペレ》 ハ長調 K.321、他(ベートーヴェン)
ケルン放送交響楽団・合唱団、ブリギッテ・デューラー(ソプラノ)
録音:1968年11月22日、ケルンこれまた同じヴェスペレでもK.339の方でないところが通ですなあ。演奏は、上掲リタニアほどではありませんね。むしろカップリングのベートーヴェン・ハ長調ミサ曲が名演。
■PROFIL:PH06005 *Günter Wand Edition Vol.16
ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K.466、他(リヒャルト・シュトラウス)
ケルン放送交響楽団、ルドルフ・フィルクスニー(ピアノ)
録音:1969年9月13日、ケルンカップリングは、ヘルマン・バウマン独奏によるリヒャルト・シュトラウスのホルン協奏曲第1番で、これは快演。期待したフィルクスニーとのニ短調コンチェルトは、それが大きかったせいかさほどではありませんでした。
むしろピアノ協奏曲であれば、北ドイツ放送響でツァハリスの伴奏をした下記のライヴ録音の方が、あまり知られていませんが佳演でしょうね。
■ピアノ協奏曲第24・27番 [EMI:7243 5 72171 2 5]
クリスティアン・ツァハリス(ピアノ)
ギュンター・ヴァント指揮、北ドイツ放送交響楽団(1986)
*左掲ツァハリスの全集盤所収。
CD単売はないように思います(LPはありました)。以上、順次寸評を加えてきましたが、残念なのは、このシリーズにモーツァルトのシンフォニーが一曲も入っていないことなのです。BMGの上掲盤がいまひとつだけに、もちろんヴァントのモーツァルトをよく知った上で聴き直せばこれはこれで立派ではあるのですが、やはり80年代前後、バイエルン放送交響楽団とのライヴ演奏が聴きたいですねえ…残っていないのかなあ。請発掘、ギュンター・ヘンスラー殿!
ところが、その欲求をいくばくか癒す代物が存在するんですな。
次回「ギュンター・ヴァントのモーツァルト(その2)」では、60年代初頭のモーツァルト録音を取り上げたいと思います。
※情報追補しました。少々長文になったので、別頁に掲載。5月6日の記事をご参照ください。 亭主テーマ:クラシック - ジャンル:音楽
- 2008/05/01(木) 19:54:21|
- 指揮者
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ネパールのモーツァルト妙なお題で失礼します。
『チベットのモーツァルト』(中沢新一、講談社学術文庫)ってぇのは聞いたことがあるけど、ネパールとは面妖な……といぶかる御仁も多かろうとお察し申し上げます。
道頓堀でト短調シンフォニーが頭の中で鳴り出した小林秀雄よろしく、亭主も別にネパールで神秘的なモーツァルト体験をした、なぞと言いだすわけではありませぬ。
今日はちょこっと、ネパールからモーツァルトの音盤が届いたことをお話しします(正確には通なお店に輸入してもらった)。以下の2種であります…
*ジャケット不敢掲載■KARNA:KA202M(2枚組限定盤) *世界初出
ディヴェルティメント K.136
交響曲第40番 K.550
交響曲第41番 K.551
リッカルド・ムーティ指揮 バイエルン放送交響楽団
2006年3月31日ライヴ、ミュンヘン(ガスタイク)
■KARNA:KA375M(限定盤) *世界初出
交響曲第25番 K.183
交響曲第40番 K.550
サイモン・ラトル指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
2006年9月1日ライヴ(「プロムス2006」)、ロンドン(ロイヤル・アルバート・ホール)うーん、スゴイ。現在、爆弾事件や選挙争乱で渡航注意となっているネパールでこんな公演していましたか…そんなはずはありませんね。上掲データにあるように、ミュンヘンとロンドンでの2006年ライヴです。
これを発売したKARNAレーベルは、ネパールの会社。去年4月に休業したそうです。きわめて簡素なジャケット(もちろん解説等はなし)には Made in Nepal とありますが、リマスタリングはドイツでおこなっているとのこと…わからんなあ〜。ちなみにCD-Rです。
もちろん正規代理店はなく、“貝族蛮”なんでしょうけれど、ネパール産っていうところがしゃれていますね。けっこうすごいアイテムが揃っていますが、亭主は上掲2種のモーツァルトを手に入れてみました。さて、肝腎の演奏は…
ムーティはこの組み合わせが気に入っているようで、1991年モーツァルト没後200年ザルツブルク音楽祭でもウィーン・フィルとこれでオープニングを飾っていますよね(7月28日、ザルツブルク祝祭大劇場。映像あり、PHILIPS)。今回の音盤は、その15年後、バイエルン放送響とのもの。
まずはK.136のディヴェルティメント。昨今、この曲を大編成のオケで堂々と演奏する勇気のある指揮者はみかけなくなりました。もちろん古楽器演奏が盛んとなった結果であり、特にこのような曲の場合、大交響楽団としては、極端に奏者数を刈り込む(臨時室内管弦楽団化)、ピリオド奏法を取り入れる(古楽系指揮者の招聘)、そもそも演奏会に取り上げない(レパートリーから外す)…等々の対策を施さないと、いまどき何やってんだっ! とのお叱りを受けること必至です。
実際、このところK.136を含むディヴェルティメント・セレナード類については、ピリオド楽器によるすばらしい録音が次々発売されています。棚を見回しても…
フライブルグ・バロック・オーケストラ(HMF)
イングリッシュ・コンサート(HMF)
ル・コンセール・デ・ナシオン(ALIA VOX)
アンサンブル・ゼフィロ(DHM)
アンサンブル415(ZIGZAG)
レ・フォリー・フランセーズ(ALPHA)
オーケストラ・リベラ・クラシカ(TDK)
ラ・プティット・バンド(ACCENT)
ラ・グランド・エキュリ・エ・ラ・シャンブル・デュ・ロワ(K617)等々ここ数年発売の盤がひしめいております(いずれ紹介したい盤ばかり)。
これらの演奏を聴いた後では、近代の肥大化した大オーケストラの分厚い響きでディヴェルティメントを聴くのは、正直しんどいですし、演奏する方だってアナクロだなあ、と思うことでしょうよ。
そんな風潮のなか、ムーティは多少奏者を減らしても交響楽団の響きを保ちつつ、十分に訓練したオケに躍動感ある解釈を与え、グイグイひっぱってゆきます。もっちゃり、ぶよぶよといったメタボなところは微塵もありません。肥満なのではなく“豊饒”なのですね。これにはバイエルン放送響の弦の美しさもおおいに寄与しています。このスタイルの演奏で弦が下手では聴くに堪えませんよ。
ちまたでは、ムーティのモーツァルトは伝統的スタイルとされているようですが、私見ではかなりピリオド奏法を意識はしていると思います。しかし、「意識している」と「実行する」というのは別でして、ムーティは前者。「意識」というのは、たとえば40番のシンフォニーを聴くと弦と管、フォルテとピアノのバランスに細心の注意が払われていることがわかりますね。
40番、終楽章の最後、294小節と298小節目に現れる木管の上昇音型を浮き立たせるために、わざと弦を急激にディミヌエンドさせるところなぞは、ちょっとクサイけれども、実演ではかなり効果的なんじゃないかなあ。ちなみに展開部以降リピートあり。
なお、第1楽章で第1ヴァイオリンのひとりが大きくミスしているのがご愛嬌。細かくいえば、提示部リピートの際、80小節目の後に88小節目の音型を弾き始めてしまいます。おそらく80小節目と同じ音型が現れる87小節目と勘違いしての勇み足なのでしょうね。それでも下手にいじくりまわさない録音の生々しさともあいまって、一連の演奏に亭主感服いたしました。
モーツァルト演奏において全盛のピリオド奏法ですが、モダン・オケに安易には取り入れない態度、かといって旧態然としたルーティンのモーツァルト演奏もしないムーティの姿勢に好感がもてました。
同世代にバレンボイム(1942-)がいますが、実は両人ともに亭主の興味外にある演奏家でした。バレンボイムのピアノはまったくよいと思いませんし、指揮もまったく関心を呼び起こしませんが、ムーティは今おもしろい、と感じています。モーツァルトにあってはウィーン・フィルよりもバイエルン放送響の方が、ムーティとは相性よいかも。
若い若いと思っていたムーティ(1941-)も、この演奏時すでに65歳! 現在古稀をひかえた彼に、もう少しモーツァルトを演奏してもらいたい、と亭主は願っています(バイエルン放送響との《プラハ》が聴きたいなあ)。
ちなみにムーティの40番にはこれと既述PHILIPS盤(ライヴ、スタジオ両盤あり)の他に、ウィーン・フィル自主制作による以下の音盤がありますが、バイエルン盤にはおよびません(録音こもり気味)。

自主制作盤

上述DVD盤
■ウィーン・フィル自主制作盤:WPH-L-K-2006
モーツァルト:交響曲第40番 K.550
プロコフィエフ:古典交響曲 Op.25
シューベルト:交響曲第6番 D589
リッカルド・ムーティ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
2000年4月2日(ライヴ)、ウィーン(ムジークフェラインザール)お次はラトル。ト短調シンフォニーは重なっていますね。
ラトル(1955-)のモーツァルトといえば、古楽器団体エイジ・オブ・インライトゥンメント・オーケストラとの《コシ・ファン・トゥッテ》(95年ライヴ、EMI)があるくらいでしょうが、実演ではけっこう振っているんですよね。一般にはピリオド奏法にも造詣が深い、といわれているようです。
当盤は、ロンドン夏の音楽祭“プロムス”のライヴ。生誕250年を記念したもので、手兵ベルリン・フィルを率いての大小ト短調シンフォニー。当然ながら(?)、テンポ設定も含めてピリオド奏法を存分に取り入れた演奏です。
全体的に軽薄な演奏でした(特に40番)。新奇な手管をちょこちょこ繰り出すのですが、説得力は弱いですね。それでも25番は下手な小細工がさほど耳につかず、特に第1・2楽章はよいと思いました。
第3楽章トリオ部で、オーボエがきわめてセンスのないアドリブをこれでもかとばかり入れ始めたのにはさすがゲンナリしました…(でも、実は指揮者の指示・許可ではなく、当日突然に興がのっちゃった、ラトルもビックリっ、ていうのならベルリン・フィルもたいしたもんだが)。
こういった演奏、一昔前の亭主であったら快哉を叫んでいたかもしれません。実演で聴けばもっと好印象をもつかなあ、…ロンドンっ子は拍手喝采でした。
ところは違えど同じ2006年アニヴァーサリー、いずれもドイツの名門モダン・オーケストラでモーツァルトを指揮した人気のマエストロふたり。しかし、結果は好対照でした。
【追 補】 (4.24)
ラトルのモーツァルトには、最近以下の音盤がありましたね。亭主も架蔵しておりましたが、すっかり失念しておりました。
■コジェナー:モーツァルト・アリア集 [ARCHIV:UCCA1068]
歌劇《フィガロの結婚》〜スザンナ、ケルビーノのアリア
コンサート・アリア「どうしてあなたが忘れられましょう」 K.505
歌劇《コシ・ファン・トゥッテ》〜デスピーナ、フィオルディリージ、ドラベッラのアリア
歌劇《皇帝ティトゥスの慈悲》〜ヴィッテリアのアリア
歌劇《クレタの王イドメネオ》〜イリアのアリア
コンサート・アリア「私は行く、しかしどこへ」 K.583
歌劇《フィガロの結婚》〜ケルビーノのアリア
コンサート・アリア「大いなる魂と高貴なる心」 K.578
歌劇《フィガロの結婚》〜スザンナのアリア[差し替え稿第28曲a]
サイモン・ラトル指揮、エイジ・オブ・エンライトゥンメント・オーケストラ
マグダレーナ・コジェナー(メゾ・ソプラノ)
ジョス・ファン・インマゼール(フォルテ・ピアノ)
コジェナーは、ザルツブルク音楽祭に出演するなど人気のメゾ。
モーツァルトを得意にしていまして、特に《ティトゥスの慈悲》は当たり役。
マッケラス指揮の全曲盤(DG)ではセスト役を好演しております。
2006年ザルツブルク音楽祭ガラ・コンサートでもハーディング指揮、
ウィーン・フィルとアリアを披露しておりましたね(NHKが放送)。
テーマ:クラシック - ジャンル:音楽
- 2008/04/17(木) 19:22:19|
- 指揮者
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ジョージ・セルのモーツァルト・ライヴ(1957)セルとモーツァルトとの相性については、昔から愛盤家の云々するところ。
おおかたは「好きじゃない」「冷たい」派と思いますが、少数ながら「好き!」派のこだわりは相当なもので、けっこう強く「セルのモーツァルトは凄い、熱い」ことを主張します。
亭主は、といえば、セルは好きですねえ。しかし、何でもかでも、というわけにはまいりませぬ。よく取り上げられるシンフォニーの録音よりも、コンチェルトの伴奏、セレナード・ディヴェルティメント類、また指揮ではなくてセルがピアノを弾いたヴァイオリン・ソナタが佳いですな。
コンチェルトの伴奏では、世評高い一連のカサドシュ盤(SONY)よりも、ルドルフ・フィルクスニーの伴奏をアムステルダム・コンセルトヘボウ管で指揮した1958年のザルツブルク・ライヴ(SONY)が…
管弦楽曲では、クリーヴランド管でセル愛好のディヴェルティメントK.131(1963年、SONY)が…
ヴァイオリン・ソナタでは、ヨーゼフ・シゲティ(K.454・481)の伴奏(1950年代、VANGUARD)とラファエル・ドルイアン(K.376・301・304・296)の伴奏(1967年、SONY)とが…
すぐに思い浮かぶ亭主愛聴盤です。
そんなところへ今回の初出ライヴ盤。貴重な(マニアック?)ライヴ音源を陸続発掘するARCHIPEL。その詳細は…
■ARCHIPEL:ARPCD0398
交響曲第29番 K.201
ピアノ協奏曲第25番 K.503
交響曲第40番 K.550
レオン・フライシャー(P)
ジョージ・セル指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1957年8月3日、ザルツブルク音楽祭ライヴまずト短調シンフォニーは、複数の録音が伝わっていますよね。クリーヴランド管(1967)、クリーヴランド管(1955)、また大阪万博のおりの来日コンサート(1970.5.22)がいずれもSONYから発売されていています。
今回のライヴ、第1楽章は55年盤よりも67年盤に近いテンポ感。上掲盤を超えるものではないと思います。
第29番は、セル唯一の録音でないかな。セルは28番なんてのをスタジオ録音しているくせに、25番や29番は結局しなかったのですね。室内楽的な要素のある29番は、ぜひともクリーヴランド管と録音を残してほしかったものです。今回は残念ながらベルリン・フィル。
結論としては、当ライヴで一番の出来。第1楽章は想像していたよりもずっと遅く、内声とのバランスをとりつつ、丹念に作り込んだ演奏。終楽章も見事でした(例のごとく金管を強調)。
さて、期待したコンチェルトは、あのレオン・フライシャーの独奏です。フライシャーは1928年サンフランシスコ生まれ。イエルク・デムスと同い年で、シュナーベルのお弟子さん。1952年のエリーザベト王妃国際コンクール優勝の俊英だったのですが、脂がのるはずの60年代初頭にジストニアによって指が麻痺。演奏活動中止に追い込まれたのです(近年復活したそうです)。
セルのピアノ協奏曲伴奏としては、上述ロベール・カサドシュとの一連の録音があまりにも有名ですが、きわめて不可思議なことに、カサドシュは20番台にあって第25番だけはセルと録音しなかったのですよ(ビゴー指揮ラムルー管とVOXには録音あり)。
曲想的にいって、セル個人としてはやりたかったんじゃないかなあ、と思います。事実、ゼルキンと録音していますし(表記上はコロンビア響)、フライシャーとも当ライヴの2年後、1959年にクリーヴランド管とスタジオ録音しているのです(下に掲載の10枚組セル―モーツァルト・ボックス所収、SONY:82876867932)。

*かなり楽しめるボックス。
ドルイアンとのソナタ、ブダペスト四重奏団員との
ピアノ四重奏曲K.478・493(1946年)も入っています。
ソニー独自のDSDによる下品なリマスターがちょっと耳障りだけども…。
25番は、亭主ただいまカール・ゼーマンのライヴ盤(1979年、ORFEO:C447-961B)にご執心なので、ちょっと物足りないです。第1楽章が速いのですよねえ…(2年後のスタジオ録音とタイムはほぼ同じ)。フライシャーのピアノは、セルのスタイルにあわせたもの。タッチは十分に美しいのですが、もうひとつ腰の据わった演奏が聴きたかったです。
最後に録音ですが、57年としては万全とはいえないものの、総じて聴きやすく、セルの唸り声もよく拾っています。拍手はうまくカットされていますが、こういう一日の演奏会を収めたものでは無理にカットしないでほしいですね。
【追 補】ジョージ・セル(1897-1970)は、1949年から死の前年まで、しばしばザルツブルク音楽祭に登場しましたが、就中当盤公演の前後は6年にわたって連続出演しています。
オーケストラは様々ですが、ほとんどの年でモーツァルトを取り上げており、そのライヴ録音が残されています。架蔵の音盤は、以下のとおり…(お薦めは58年のライヴ)

ACO盤

フランス国立管盤
■1956年8月7日 [ORFEO:C652052]
歌劇《後宮からの逃走》
ジョージ・セル指揮、ウィーン・フィルハモニー管弦楽団、エリカ・ケート(コンスタンツェ)*当音楽祭で交響曲第40・41番、ピアノ協奏曲第23番(ピアノはセル自身)が演奏されたようだが、亭主未聴。
■1957年8月3日 当盤*歌劇はリーバーマンの《女の学校》(ドイツ語版)初演を指揮。
■1958年8月6日 [SONY:SICC458]
交響曲第41番、ピアノ協奏曲第9番(ピアノ:ルドルフ・フィルクスニー)
ジョージ・セル指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団*上記盤には未収録だが、交響曲第33番も演奏。下記7枚組に収載。
■1959年 [GALA:GL100.502]
歌劇《魔笛》
ジョージ・セル指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、クルト・ベーメ(ザラストロ)■1959年8月3日 [SONY:SICC457]
交響曲第35番、ヴァイオリン協奏曲第5番(ヴァイオリン:エリカ・モリーニ)
ジョージ・セル指揮、フランス国立放送管弦楽団*上記盤にはハイドンの交響曲第92番も収録。
セルのザルツブルク音楽祭公演の全般を知るには、以下のCDがあります。ORFによるリマスタリングにセンスがないのが残念ですが(ノイズはないが、薄っぺらい貧音に改悪)、貴重な正規音源ではありますね。

■ジョージ・セル:ザルツブルク音楽祭ライヴ1958〜1968
[ORFEO:R704077] 7枚組テーマ:クラシック - ジャンル:音楽
- 2008/04/10(木) 21:52:31|
- 指揮者
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