文質彬彬(11) ホルン協奏曲〈全曲〉
〜ナチュラル・ホルンによる演奏12選 (その3) 楽 曲 解 説 (弐)楽曲解説の後半にまいりましょう。
(4) 旧第4番:変ホ長調 KV495 (1786年)伝わる自筆譜(第2楽章と第3楽章との一部)が黒・赤・青・緑という4色インクで書かれていることで有名な曲がこのK.495(旧全集第4番)です。この多彩譜は、いつもの冗談とみられてきましたが、「新全集」校訂者のギークリングは、モーツァルトの色による演奏表現指示だとの説を提唱しています。
K.495は現存する自筆譜が一部分のため、二次資料によって第1楽章の長さがおおきく異なるという問題があります。一般に演奏されるのは、「新全集」に採用されたウィーン版(1803年)ですが、アンドレ版(1802年)やプラハ版も知られており、殊に後者は小節数が最多の版としてトンプソン盤(NAXOS、1995年)で聴くことができます。なんの注記もないので、従来版に慣れた耳にはソロ入り冒頭から驚かれることでしょう。

トンプソン盤(NAXOS)
このトンプソン盤は、演奏と録音はいまひとつなのですが、ハンフリーズ版を中心に、断片も含めたすべてのホルン協奏曲が1枚に収まっている廉価盤ですので、同じく廉価のセバスチャン・ヴァイクレ盤(イエルク=ペーター・ヴァイクレ指揮、DEUTSCHE SCHALLPLATTEN、1988年)や、ユーリセン版がまとめて聴けるヘルマン・ユーリセン盤(ロイ・グッドマン指揮、OLYMPIA、1996年)とともに資料として手元に置くにはよいでしょう。後者の珍盤はBRILLIANTのMOZART EDITIONにも入っています。3盤ともモダン・ホルンによる演奏です。


左:ヴァイクレ盤 右:ユーリセン盤
名手ペーター・ダムのように、学究肌の奏者自身が独自の校訂版をつくって演奏・録音に使用するケースもあり、ダムの場合はネヴィル・マリナーとの新盤(PHILLIPS、1988年)ではなく、ヘルベルト・ブロムシュテットとの旧盤(DEUTSCHE SCHALLPLATTEN、1974年)でその成果を聴くことができます。この旧盤はモダン・ホルンによる美音満載のたいへんな名盤です。最近リマスタリング発売されたKING RECORD「ハイパー・リマスタリング・シャルプラッテン・ベスト」で聴くことをお薦めいたします。


左:ダム旧盤 右:ダム新盤
ちなみに、この曲の終楽章を改作し歌詞をつけた《吹いてやろう》が、エリック・ラスク盤(チャールズ・マッケラス指揮、TELARC、1993年)に収録されています。これはマイケル・フランダースとドナルド・スワンによるミュージカル中のおどけた一曲です。

ラスク盤(TELARC)
なお、このラスク盤は、ハンフリーズ版をまとめて聴くには好都合の盤で、資料的にも価値があります(解説もハンフリーズ)。
(5) 断片:ホ長調 KV494a (1786年)K.494aは91小節からなる断片で、65小節におよぶオーケストラ提示部が入念に書かれているものの、ソロが始まって早々にオーケストラ・パートは空白に。ホ長調というのが珍しく、スケールの大きい堂々とした序奏は、完成されていれば定めし名曲となったろうことをうかがわせます。まったくもって残念!
演奏される際は、オーケストレーションに最小限の補筆をおこなったハンフリーズ版を用いることが多いのですが、ようやく独奏ホルンが始まったと思うやプッツリ中断してしまうので、かなりガッカリします。
その不満を和らげるのが、前掲ヘルマン・ユーリセン補筆完成版であり、唯一彼自身の独奏で聴けます(ロイ・グッドマン指揮、OLYMPIA、1996年)。展開部を含め、最後まで無理から創作してしまったかなり強引な版ですが、ともかく完成はしています。いずれはロバート・レヴィン版の登場を期待したいところですね。

ホルン協奏曲の校訂で知られるヘルマン・ユーリセン
(Herman Jeurissen 正確な読みは不明)
[OLYMPIA盤ノートより]
(6) 旧第3番:変ホ長調 KV447 (1787年)叙情性と転調の妙で傑作の誉れ高いのがK.447(旧全集第3番)です。その充実した書法と、オーケストラ編成にクラリネットとファゴットを採用していることなどから1788年頃以前の作曲ではない(ドゥ・サン=フォア)といわれながらも、モーツァルト自身による『自作主題目録』(1784年2月記録開始)にこの曲が見出せないことから、ケッヘルは1783年の作品と推定し、K.447の番号を与えました。
現在では、プラートの筆跡鑑定とタイソンの用紙(すかし・五線幅)鑑定とにより、1787年、あの《ドン・ジョヴァンニ》と同年に作曲されたという説が有力となっています。ただし、これほどの大曲を何故にモーツァルトはおのが「作品目録」に未記入のままであったのか、という不可解な謎はいまだ解決されていません。
なお、自筆譜が完全に残っているのはこのK.447のみです。
(7) 旧第1番:ニ長調 KV386b[412+514] (1791年、1792年)この曲にまつわる経緯については初回で詳述いたしました。
最近の録音では、モーツァルトの落書満載草稿を基に補筆したロンドを第2楽章に採用し、ジュースマイヤー版K.514を別に録音する、という音盤が増えています。
曲の中程でグレゴリオ聖歌「預言者エレミアの哀歌」が印象的に響くK.514も悪くないですし、《レクイエム》に同じく師弟合作の意義もじゅうぶんあるかと思いますが、モーツァルト自身によるスケッチが相応に残されている以上、やはりその復元版で聴きたい、という要求が生まれるのは当然のことでしょう。
現在、カール・マルグエール版(1980年)を嚆矢に、ヘルマン・ユーリセン版、ジョン・ハンフリーズ版、ロバート・レヴィン版、トーステン・ヨハン版などの補筆版が知られております。
中でもレヴィン版は相変わらず才気溢れ(過ぎ?)る補筆版で、レヴィン版《レクイエム》同様に積極的なオーケストレーションが聴かれます。なぜか第1楽章の最後にも大胆な補筆があります(典拠不明)。
レヴィン版を使用したナチュラル・ホルンによる演奏ではアブ・コスター盤(ブルーノ・ヴァイル指揮、SONY、1992年)、モダン・ホルンによる演奏ではジェームズ・サマーヴィル盤(マリオ・ベルナルディ指揮、CBC、1996年)があり、いずれも必聴盤です。特に後者は演奏も含めてお薦めです。


左:コスター盤(ナチュラル・ホルン)
右:サマーヴィル盤(モダン・ホルン)
なお、つい先日(25日)、レヴィン版による新録音が発売されました(CAMERATA、注文済ですが未だ届かず)。ベルリン・フィル首席奏者のシュテファン・ドールによる演奏です。レヴィン版であることを大々的に謳っておりますが、亭主としては、あのニーノ・ロータ(フェリーニ映画で有名ですね)が旧第1番用に作曲した「アンダンテ・ソステヌート」の初録音の方が気がかりですね。
さて、先述したごとく、このロンド草稿には、親友ロイトゲープへの揶揄がわんさと書き込まれております。なにせ、アレグロによる“狩りのロンド”であるにもかかわらず、独奏ホルンにだけ“アダージョ”の指示があるのですから冗談も極まれり、というものでしょう。
イタリア語による“実況中継風”いたずら書きはかなり執拗なもの。独奏ホルンが入るあたりから始まります。一部引用しますと……
ロバ大先生様 元気よくね―急げ〜―それ行け―いい子だから―勢いあげて―もう終わるんかい?
お前さんに―ばかもん―おお、なんて調子っぱずれ―ああ!―ああ〜!―惨めなやつだ!……
ロバ君!―ははあ〜―一服一服!(1小節休みの部分) ひとつくらい調子をあわせろ、
この×××めが(閉塞音が続く難しい部分、×××は亭主の伏せ字で男性器の呼び名)……
おお神よ、ありがとさん、やっと終わりだよ ああ、これで終わりだ、頼むよ!
ああ、いまいましい!(閉塞音が続く部分)―うまくやれるか?(自然倍音の部分)
―ブラヴォー!(トリルの部分)……
やれやれ神に感謝だ―もうおしまい、もうけっこう!とこんな具合。実際はもっと多量で、きわどい表現が頻発いたします。
なんと、このモーツァルトによる罵詈雑言を朗読として加えた録音があり、前掲ヘルマン・ユーリセン盤(ロイ・グッドマン指揮、OLYMPIA、1996)とR.J.ケリー盤(トーマス・クラウフォード指揮、MUSIC MASTERS、1998)とが知られています。後者はナチュラル・ホルンによる演奏であり、かつモーツァルトの指定を墨守して独奏ホルンのみ冒頭をアダージョで演奏していますので、両人のやりとりがホウフツとされる醍醐味を存分に味わえましょう。

ケリー盤(ナチュラル・ホルン)
以上、長々と楽曲説明をおこないました。あらためて資料的問題の多いジャンルであることがわかりますね。しかし、朗々と響くホルンに身をゆだねて聴き入るとき、そんなことはまったく忘れてしまってかまいません。さて、次回はいよいよナチュラル・ホルンによる音盤紹介です。
(つづく)
テーマ:クラシック - ジャンル:音楽
- 2008/12/28(日) 09:03:18|
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