バセット・クラリネットに浸る夜長〜クラリネット協奏曲にて (その3)吾妻連峰に雪雲がたれ込めています。風向きによっては、街にもちらりと風花が舞うやもしれません。
クラリネットのための五重奏曲と協奏曲 ―― あまたあるモーツァルトの名曲群にあっても燦然と輝く神品、それをふたつながら捧げられた幸運児こそアントン・シュタードラー(1753-1812)その人です。彼は友人の楽器製作者テオドール・ロッツ(1748-1792)と共同で、バセット・ホルンを参考に管長やキイを工夫することにより、普通のクラリネットよりも半音4つ分の低音を出すことに成功しました。そうして完成した低音クラリネット、つまりはバセット・クラリネットを愛奏し、これまた親友であったモーツァルトに専用の楽曲をねだったのでした。
コンチェルトK.622は、モーツァルトの死の数ヶ月前、1791年秋に完成し、10月16日に初演されたといいます。初演の場所は、モーツァルトが愛した街プラハの国民劇場、すなわちあの《ドン・ジョヴァンニ》が初演されたのと同じエステート劇場(スタヴォフスケー劇場とも。映画《アマデウス》のオペラ・シーンが撮影された!)でした。

エステート劇場

劇場近くの旧市庁舎[いずれも亭主謹影]
それから時は流れ、モーツァルト生誕250周年、まさに記念の誕生日である2006年1月27日に、この美しいエステート劇場でおこなわれたコンサートが映像として発売されているのです。曲目は、《ドン・ジョヴァンニ》序曲、交響曲《プラハ》、そしてクラリネット協奏曲というプラハ、就中エステート劇場とゆかりの深い3曲。
■[EUROARTS:2055158](2006年、ライヴ) DVD
*ドキュメンタリー附きの国内盤もあり
モーツァルト・ガラ・フロム・プラハ
歌劇《ドン・ジョヴァンニ》序曲
交響曲第38番《プラハ》
クラリネット協奏曲
シャロン・カム(バセットcl)
マンフレート・ホーネック指揮、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団ここでクラリネットを吹く女流シャロン・カムは、バセット・クラリネットを使用しており、モダンとはいうものの同楽器を演奏する姿を捉えた映像としてたいへんに貴重。低音部のキイ操作がよく撮られていて克明にわかります。
ウィーンを中心に活躍している彼女は、1992年のミュンヘン国際音楽コンクールで優勝しているということです。ふっくらとした音色を活かして存分に吹ききっており、低音部の魅力を余すところなく伝えています。マイヤーよりもずっと好感がもてました。
名門(かつての?)チェコ・フィルを指揮するのは、マンフレート・ホーネック(1958年生)。元ウィーン・フィルのヴィオラ奏者です。そう、現コンサート・マスターであるライナー・ホーネックのお兄さんですね。スウェーデン放送交響楽団の音楽監督を経て、現在はシュトゥットガルト歌劇場音楽監督を務めているようです。
《ドン・ジョヴァンニ》序曲と《プラハ》の演奏は、ちょっと粗いですね。ピリオド奏法の影響が認められ、弦も両翼に配置しています。しかし、それをチェコ・フィルが存分には咀嚼していないといったおももち。指揮棒を指揮台に打ち付けての元気いっぱいの指揮振りが、かえってあだとなっていますね。それでも、クラリネット協奏曲の佳演を挟んでの力演ということで、最後まで楽しめました。青と金とを基調にして落ち着いた美しさを醸す劇場の様子もよくとらえられております。
ホーネックといえば、同年の夏にはザルツブルク音楽祭にも登場していますね。この年は、生誕記念として、モーツァルトの劇場用作品22曲がすべて演奏されるという大イベントがありましたが、ホーネックは、中でも主要な作品といえる《コシ・ファン・トゥッテ》を任されています。
■[DECCA:0743165](2006年、ザルツブルク音楽祭ライヴ) DVD
歌劇《コシ・ファン・トゥッテ》K.588
マンフレート・ホーネック指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団この22作品全公演は、DVD化されております。亭主も奮発して33枚組セットを購入したものの、なじめない新演出が多く、《コシ》も例外ではありませんでした。初演の大学講堂でおこなわれた初期作品《第一戒律の責務》K.35・《アポロとヒアキントゥス》K.38の公演はたいへんに感銘を受けましたけれども……。単売もされておりますし、こちらはお薦めです。
■[DG、DECCA:0734221](2006年、ザルツブルク音楽祭ライヴ)DVD33枚組
■[DG:0734253](2006年、ザルツブルク音楽祭ライヴ)DVD
宗教的ジングシュピール《第一戒律の責務》K.35
ラテン語劇《アポロとヒアキントゥス》K.38
ヨーゼフ・ヴァルニヒ指揮、モーツァルテウム音楽大学管弦楽団 なお、ホーネックには、以下の興味深い音盤があり、最近入手したのでついでにご紹介しておきましょう。
■[QUERSTAND:VKJK0615](2001年)
《フリーメイスンのための葬送音楽》K.477
《ヴェスペレ》K.339〜ラウダーテ・ドミヌム
《レクイエム》K.626
《アヴェ・ヴェルム・コルプス》K.618、他
マンフレート・ホーネック指揮
スウェーデン放送交響楽団
スウェーデン放送合唱団詳細な構成は以下のようになっており、かなり凝った内容となっています。これまでも《レクイエム》の合間にグレゴリオ聖歌を挟む、鐘の音を入れる、とった企画は複数ありましたが、当盤は、モーツァルトの書簡や現代詩の朗読をも差し挟むという異色盤。ティンパニを(かなり)強打させている《レクイエム》演奏とともに一聴の価値はありますよ。
1.鐘の音
2.グレゴリオ聖歌(レクイエム)「永遠なる安息を死者に与えたまえ」
3.朗読:モーツァルトの父宛書簡[1787年4月4日付]
4.《フリーメイスンのための葬送音楽》K.477
5.グレゴリオ聖歌
6.《証聖者の盛儀晩課(ヴェスペレ)》K.339〜「ラウダーテ・ドミヌム」
7.グレゴリオ聖歌
8・9.朗読:ネリー・ザックス(1891-1970)の詩
10・11.《レクイエム》K.626〜「イントロイトゥス・キリエ」
12.朗読:ヨハネ黙示録
13〜18.《レクイエム》〜「セクエンツィア」
19.グレゴリオ聖歌
20.朗読:ヨハネの黙示録
21・22.《レクイエム》〜「オッフェルトリウム」[サンクトゥス以下カット]
23.《レクイエム》〜「ラクリモサ」[絶筆部分で中断]
24.《アヴェ・ヴェルム・コルプス》K.618
25.鐘の音さて、バセット・クラリネットの映像盤を紹介するはずが、絶筆《レクイエム》の珍盤案内というあらぬ方向に行き着いてしまいました。ここらで3回にわたり特集したモダン・バセット・クラリネットによる協奏曲の音盤紹介をお開きといたしましょう。
テーマ:クラシック - ジャンル:音楽
- 2008/11/19(水) 20:01:49|
- 協奏曲
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バセット・クラリネットに浸る夜長〜クラリネット協奏曲にて (その2)一昨日から会津に出張しておりましたが、風もない小春日和のなか遅い紅葉狩となりました。
さてさて、前回の続きを。以下に亭主が架蔵する残りの音盤を掲げます。こうしてみますと、案外モダン・バセット・クラリネットによる協奏曲録音ってあるのですねえ。今回、一通り聴き直してみましたが、あらためてモーツァルトのクラリネット協奏曲は、バセット・クラリネットで演奏されねばならないと思ったことでした。あの低音部の魅力は、オクターヴ移したりしたのでは激減します。
オーケストラ版
■リチャード・ホスフォード盤[COE RECORDS:COE814](1988年)
アレクサンダー・シュナイダー指揮、ヨーロッパ室内管弦楽団
■ザビーネ・マイヤー盤[EMI:7243 5 66949 2 7](1990年)
ハンス・フォンク指揮、シュターツカペレ・ドレスデン
■マイケル・コリンズ盤[DG:UCCG70081](1997年)
ミハエル・プレトニョフ指揮、ロシア・ナショナル管弦楽団
■エマ・ジョンソン盤[UCJ:987 3571](2005年)
エマ・ジョンソン指揮、ロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団 室内楽版
■エルンスト・オッテンザマー盤[EXTON:OVCL00221](1999年、ライヴ)
ウィーン・ヴィルトゥオーゼン
■フェルディナンド・シュタイナー盤[EXTRAPLATTE:EX686-2](2006年?)
ザルツブルク・ゾリステンオーケストラ版からは4種紹介します。
ホスフォード盤は、ヨーロッパ室内管制作による廉価盤シリーズの一枚。亭主も何枚か買っておりますが、当該盤は、オーボエ協奏曲、4管協奏交響曲とカップリング。指揮者は、なんとアレクサンダー・シュナイダー(1908-1993)。かのブダペスト弦楽四重奏団の第2ヴァイオリン奏者ですね。当盤は88年の録音ですから、シュナイダー80歳のときの指揮ということになります。
シュナイダーといえば、1939年にフランスのプラドに亡命していたカザルス(1876-1973)を引っ張り出し、ミエチスワフ・ホルショフスキ(1892-1993)とともにプラド音楽祭を立ち上げたことで知られています。当初はカザルスをアメリカに招き、バッハ没後200年祭を開催したかったようですが、気難しいカザルスを説得できず、結局、1950年にカザルス在住のプラドでの音楽祭となりました。音楽監督はカザルス、音楽祭管弦楽団のリーダーはシュナイダーということになります。
音楽祭自体は、財政難や、カザルスの良くも悪しくも頑固親爺的言動により徐々に縮小してゆきますが、数年間にわたる演奏はかなり保存されており、歴史的音源としてたいへんに貴重です。特に、翌1951年、プラド近郊のペルピニャンで開催された音楽祭のライヴ録音は、どれも超のつく逸品です。亭主も愛聴しておりますが、ことにカザルス指揮によるモーツァルトのピアノ協奏曲群は、かなりスゴイです。独奏は、ホルショフスキ、ルドルフ・ゼルキン、イヴォンヌ・ルフェビュール、マイラ・ヘス等そうそうたる顔ぶれ。みんなカザルスを敬慕して遠路集まった人たちです。
独奏も、むろん良いのですが、何といっても技術的には未熟な管弦楽団を指揮する、カザルスの高くて熱い音楽性に脱帽です。亭主は、カザルスの指揮するモーツァルト(交響曲、管弦楽曲、協奏曲)をきわめて高く評価するものです。もし“芸術”なんていう言葉を使うとしたら、こういうものこそそれにあたるのでしょうね。いずれ「カザルスのモーツァルト」と題し、まとめたいと考えております。
話が脱線しました。要するにそんな歴史的な場に中心となって立ち会っていた人物が、このクラリネット協奏曲を指揮しているということですね。そう思って聴くと、有難みが出てきましょうが、演奏は案外ふつうです。もっとCOEらしさが欲しかったところ(そうなるのは90年代からかなあ)。
マイヤー盤は、やはりといおうか世評が高いですね。亭主は好きな音色ではなく、また彼女のフレージングも好まないのですが、巧いことは確か。むしろ、無難といわれることが多いフォンク指揮シュターツカペレ・ドレスデンの演奏を楽しむ音盤だと思っております。最近廉価になりましたから、一度は聴いてもよいかもしれません。

マイヤー:アバト指揮盤
ちなみに、彼女はアバド指揮ベルリン・フィルと再録音しております(EMI:5568322、1998)。カラヤン時代には、当然ながら実現不可能だった組み合わせですね。時代は変わりました。そういえばN響と共演したときもバセット・クラリネットを使用していた記憶があります。
コリンズ盤の指揮を執るのは、ピアニストのプレトニョフ。あのソナタ演奏(DG)をする彼にしてはまっとうな指揮振りなのでしょうが、少し恣意的かな。若いと思っていたコリンズ(1964生)も今や中堅ですね。けっこう良い音を出しています。
ジョンソン盤はまったくいただけません。音色ともども腰の据わらない演奏で、かなりいらいらします。カップリングが珍しい編曲物(クラリネットと管弦楽によるアリア、アヴェ・ヴェルム)なので、その点は貴重。
続いて、室内楽版。室内楽版というのは、特段編曲しているというのではなく、各パートひとりで演奏しているというもの。これが何故かクラリネット協奏曲の音盤には2種(も?)存在しています。おそらく、モーツァルト晩年特有の清澄なオーケストレーションがそれを許すのではないかと察しております。実際、こんな小編成、というより少人数で演奏されても、あまり違和感なく響きますね。
オッテンザマー盤は、日本でのライヴ録音。1999年11月29日に「府中の森芸術劇場ウィーン・ホール」で収録されたものです。カップリングはシューベルトの交響曲第5番 D.485で、これも小編成アンサンブルで演奏されています。
ウィーン・ヴィルトゥオーゼンは、ウィーン・フィルのコンサート・マスターと首席奏者とを中心に結成されたアンサンブルで、基本編成は10人(弦楽器5、管楽器5)。
首席オッテンザマー(1955生)の奏でるバセット・クラリネットは、さすがに深い音色。簡素で透明なバックに乗ってほぼ完璧に吹きこなしています。それもそのはず、彼は既に2回もクラリネット協奏曲を録音しているのですから。1989年NAXOSに(8.550345)、1992年PHILLIPSに(UCCP9034)、それぞれヨハネス・ヴィルトナー指揮ウィーン・モーツァルト・アカデミー、コリン・デイヴィス指揮ウィーン・フィルにより録音しています。本来ならば、後者のバセット・クラリネット録音こそを筆頭に挙げるべきだったのでしょうが、ここでは珍しい室内楽版をお薦めしたいと思います。

NAXOS盤

PHILLIPS盤
シュタイナー盤も10人編成による演奏。ザルツブルク・ゾリステンは、モーツァルテウム管、カメラータ・ザルツブルク、モーツァルテウム音楽院、ウィーン・フォルクスオーパー管、ウィーン放送響からなるアンサンブルで、シュタイナーにより創設されました。
カップリングは、やはり小編成による《皇帝ティトゥスの慈悲》序曲、《ジュピター》交響曲で、むしろこちらの方がずっと楽しめました。両曲とも現在のところ最少人数による録音であろうと思われます。残念ながらシュタイナーのソロは、技術的にも、特にブレスに不満が残りました。
以上、縷々と並べ立てただけとなりましたね(いつも…)。こうして同じ曲を違った演奏でまとめて聴き直すと、また新たな知見も増えようとはいうものの、これでは夜長もまったく足りません。
六朝文士の逸話集『世説新語』雅量篇に、こんなエピソードがあります。
祖士少好財、阮遥集好屐。並恒自経営、同是一累、而未判其得失。人有詣祖、見料視財物。客至、屏当未尽、余両小簏箸背後、傾身障之、意未能平。或有詣阮、見自吹火蝋屐、因歎曰、「未知一生当箸幾量屐」。神色閑暢。於是勝負始分。意訳すれば……
祖約さんは貯金好き、阮孚さんは下駄好き。二人ともいつも八方手を尽くして集めに集め、同じように趣味に生きることを励んでいた。世間はいずれが熱中人か噂しあった。
ある人が祖約のもとを訪ねると、お金を数えているところであった。客がやってきたので、竹の貯金箱を背後に片付けて、自分の体で隠したけれども、どうもモゾモゾ落ち着かない様子。
またある人が阮孚を訪ねると、自分で火をおこして下駄にワックスを塗っているところだった。そうしてため息をつきつつ言うのだった。
「死ぬまでにあと何足の下駄が履けるかなあ」。その表情はゆったりのんびり。
かくてようやく判定がついた。千五百年も昔の阮孚のごとく「神色閑暢」の境地には遠く及びません。及ばざるもの集むるべからず、反省しないといけませんね。
そういえば、亭主はナマでは一度しかバセット・クラリネットによる協奏曲を聴いたことがないなあ、と思い起こしていたところ、ひとつ大事な盤をもらしていたことに気づいたので、次回もう一度バセット・クラリネットのお話におつきあいいただくことになりそうです。
テーマ:クラシック - ジャンル:音楽
- 2008/11/15(土) 19:22:00|
- 協奏曲
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バセット・クラリネットに浸る夜長〜クラリネット協奏曲にて (その1)暦の上で立冬とはいえ、まだまだ夜長を楽しむ候であることにはかわりません。お伴の麦酒が熱燗になったくらい。
秋は深まるばかりで、我が家のハゼの木の盆栽も、すっかり色づいています。職場からの景色は、錦に輝くわけではありませんが、それでも高い紺碧の秋空のもと、澄んだ大気に包まれておりますよ。

我が家のハゼの木

職場からの秋空、左奥は安達太良山
このところ、亭主の深夜はクラリネットとともに更けるのが常であります。本来であれば、クラリネット五重奏曲の方がふさわしいとはいえ、いま聴いているのはもっぱらクラリネット協奏曲です。レオポルト・ウラッハの枯淡の境地を味わうのもよいですが、本日はクラリネットでもバセットの方……。
主に過日、SACDのお話(
「マルクス・ボッシュの宗教曲集」)をした際に一言触れた、マルティン・フロストによるバセット・クラリネット演奏を、SACDで楽しんでおります。フロストは、スウェーデン生まれの俊英で、ジュネーヴ国際コンクール優勝者(1997)でもあります。
マルティン・フロスト
[ライナー・ノートから]
照明効果のもと舞踏を取り込んだ舞台で演奏し、自らもパントマイムをしながら現代音楽を演奏するという、聞いただけではかなりキワモノのアーティストのように思うのですが、音盤ではそんな心配はいりませんので、ひたすら美音の連なりに浸るばかり。
どこぞで誰かが、クラリネットの音色は、「生理的な快感を覚える」なんて言っていたように記憶しますが、まさしくその通りで、殊に低音部の魅力は、直接下半身に響きます。となると、クラリネットの低音が多用されたコンチェルトの方が、クインテットよりもそれが楽しめるわけです。さらに、モーツァルトが低音好きの盟友シュタードラーのために作曲した、本来の譜面通りに吹ける低音部拡張クラリネット、つまりバセット・クラリネットによる演奏でれば、なおさら恍惚とした響きが再現されるわけですね。

現行一般譜と低音部復元譜
[コックス盤ライナー・ノートより]
このあたりの複雑な事情については、かつてクラリネット奏者ヘープリッチを特集した際に簡単に触れておりますので、ご参照くださいませ(
「エリック・ヘープリッチによる4種のバセット・クラリネット五重奏曲」)。
アントン・シュタードラー開発のバセット・クラリネットそれ自体の現物は、いまだ発見されておりませんが、絵画資料を含む諸資料をもとに、何人かのピリオド楽器系奏者により復元・演奏・録音されております。
一方、モダン仕様のバセット・クラリネットも一般に販売されております。近年は、モダン楽器奏者も、普通のクラリネットでは吹けない低音部をオクターヴ移調(40小節も!)することなく、本来の譜面のまま奏することが可能な、こちらの楽器でクラリネット協奏曲を演奏することが増えています。現在、モダン仕様バセット・クラリネットによるモーツァルトのクラリネット協奏曲録音は、15種程度存在しますが、ここではまず、亭主推薦の5盤をご紹介いたしましょう(録音年代順)。特にお薦めしたい演奏に★印を附します。
■デイヴィット・シフリン盤[DELOS:DE3020](1984)
ジェラルド・シュワルツ指揮、モーストリー・モーツァルト管弦楽団
■シア・キング盤[HYPERION:CDA66199](1985)
ジェフリー・テイト指揮、イギリス室内管弦楽団
■チャールズ・ナディッヒ盤[DG:431 665-2](1987)★
オルフェウス室内管弦楽団
*左掲ジャケットは最近の廉価選集盤
■ニコラス・コックス盤[CLASSICO:CD1502](2002)
ロイ・グッドマン指揮、ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニック管弦楽団
■マルティン・フロスト盤[BIS:BIS-SACD-1263](2002)★
ピーター・ウンジャン指揮、アムステルダム・シンフォニエッタ亭主は、今の今まで、史上初のバセット・クラリネットによる協奏曲録音は、女流奏者シア・キングによる音盤だとばかり思っていました。そうして、企画録音した本人たちも、それを信じていたらしいのですが、今回書き出してみたら、シフリン盤の方が録音は早いようです。
ただし、バセット・クラリネットによる初録音、などとは謳っておらず、Mozart’s original versions −played on an extended-range clarinet、つまり「拡張音域クラリネットにより演奏されたモーツァルトのオリジナル版」と明記されております。ジャケットで吹いている長いクラリネットが実際に使用されたものでしょう。
当盤は、某評論家に大絶賛されているゆえか、案外知られているようです。演奏も悪くはないですが、もう少し低音部にコクがほしいところ。
キング盤は、亭主が高校時に初めてバセット・クラリネットに接した懐かしい盤です。今回、久方ぶりに取り出して聴いてみて、その静謐な演奏に魅せられました。ゆったりとしたテンポ(第1楽章でいえば、他盤よりも1分程長い)、声高に叫ばない音色、虚飾のないフレージングは、深夜のしじまにふさわしいものでした。もう少しオケがきめ細かいとうれしいのですが、これはイギリス室内管の特徴でして、まあ、尊重しましょう。バセット・クラリネットは、パリ・セルマー社製との由。シア・キングのライナー・ノートから以下一部引用しましょう。
近年になってモーツァルトのクラリネット協奏曲については、多くの情報が寄せられるようになったが、クラリネット奏者たちは、実際にバセット・クラリネットを手にするまでは、一般に使われているクラリネット用の版を変更して演奏することに警戒的であった。とはいえ、第1楽章の終わりに近い1小節だけは例外であった。ここは上昇分散和音の伴奏型で、バセット・クラリネットの最も低いオクターヴを使っている。大抵の版では、ここは1オクターヴ上に移しているので、結果として先行する小節を繰り返すことになる。そこで多くの奏者は、この部分の全体、ないしは半分を1オクターヴ上げるか、除去してしまうというような方法を講じてきた。この小節は、そもそもシュタードラーの楽器がハ調の音階をストレートに3オクターヴ楽に出せたのではないかという疑念を持たせる鍵となったものである。さて、ナディッヒ盤は亭主がこれまでいちばん聴いてきた演奏です。時として装飾がくどいのですが、バセット・クラリネット特有の音色が存分に楽しめます。ちなみに、オルフェウス室内管の木管コンチェルト・シリーズでは、4管のための協奏交響曲K.297bが佳演ですよ。
コックス盤は、最近入手したもので、ロイヤル・リヴァプール・フィルがデンマークのCLASSICOレーベルとタイアップして制作した音盤。この企画のスポンサーはYAMAHAであり、当然のことながら使用されているバセット・クラリネットはヤマハ製。かなりよく鳴る楽器であり、録音ともども優秀。ハノーヴァー・バンドでおなじみのロイ・グッドマンが指揮を執っていて驚きますが、リヴァプール・フィルからピリオド奏法風の音色を引き出しています。一聴の価値ありです。
そしてフロスト盤。彼の若く積極的なアプローチも魅力ではありますが、SACDの奥行きある音像も他では味わえないもの。逆説的な言い回しとなりますが、晩年のモーツァルト特有の、簡素澄明なオーケストレーションが、豊潤に響き渡ります。むだな音が一つとしてなく、それが互いに殺し合うことのない完璧な書法だと思います。それがこの録音からよく伝わってきたのです。
カナダ出身の指揮者ウンジャンは、確かかつて東京弦楽四重奏団のヴァイオリン奏者だったと思いますが、外連味のない素直な音作りに感心しました。残念なのは、カップリングの五重奏曲が不調なこと。室内楽って難しいものですね、などとつくづく思ったことでした。
今回この記事を書くにあたって、音盤棚をあさったところ、思いの外、陸続とモダン・バセット・クラリネットによるコンチェルト演奏が出てきましたので、次回はその続きを少々。
テーマ:クラシック - ジャンル:音楽
- 2008/11/08(土) 14:23:50|
- 協奏曲
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