ギュンター・ヴァントのモーツァルト(その3)さて、間があいてしまいましたが続けましょう。
■TESTAMENT:SBT1304 *STEREO
交響曲第35番 K.385《ハフナー》 [1961]
交響曲第40番 K.550 [1959]
交響曲第41番 K.551《ジュピター》 [1957]第35番《ハフナー》は、軽快なアンダンテと遅めのフィナーレとの対比がおもしろいですね。特にアンダンテの楽しさは無類。ファゴットが味わいを出しております。だいたい、この時代のドイツ地方オケの管楽器(特にオーボエやファゴット)の音色は、郷愁をそそるような鄙びた響き……悪く云えば田舎くさい、洗練されていない音、ということなのですが、それらが弦楽器から一定の距離感(音質上の)をおいて浮かびあがる瞬間は、なんとも風情があります。
《ジュピター》は少々古いステレオ。奥行きのないチープな響きが独特で好悪が分かれましょうが、第40番となると、これは好き嫌いを超えてスゴイ演奏ですねえ。風通し良好なる演奏なので、ひとによりかなり神経質な響きに聞こえるでしょうが、神韻渺々たる清冽さは、若々しいというよりも、もう既に枯淡の境地。亭主としては晩年(1994年)、北ドイツ放送響との録音よりも好きですね。「ギュンター・ヴァントのモーツァルト(2)」の冒頭に掲げた『世説新語』の嵆康評は、このト短調シンフォニーを聴いたときに、ことさら強く思い起こされた譬喩なのです。
アンダンテは、くどく歌うことはまったくなく、孤独な歩みのよう…メヌエットのトリオ部分は、きわめて素っ気なく通り過ぎるも余韻をのこす…などなど、一聴瞠目せしむ、というハッタリは微塵もありませんが、聴くほどに効いてきます(毎回聴こうとは思わないけれど)。半世紀も前に、こういう演奏はウケたんでしょうかねえ…。この辛口、否、「上善如水」的レコードがフランスのご家庭に配られたというのが信じられません。
■TESTAMENT:SBT1305 *STEREO
交響曲第36番《リンツ》 K.425 [1961]
交響曲第38番《プラハ》 K.504 [1961]
交響曲第39番 K.543 [1961]今回紹介の4音盤から亭主が一枚選ぶとしたら、この盤でしょう。実は、ちょうど同年の1961年、ヴァントよりも10歳年上のオイゲン・ヨッフムがアムステルダム・コンセルトヘボウ管と《リンツ》《プラハ》を録音しております(PHILIPS:UCCP3290国内盤)。後年、バンベルク交響楽団と一連の大名演を残すことになるヨッフムですが、61年録音についていえば、このヴァント盤におよびませんねえ(ヨッフム61年盤も同傾向の演奏であり、けっして悪くはありませんが)。
《リンツ》第1楽章を一聴すれば、それは歴然。一連の演奏同様、ふっくらした響きはなく、たとえばクライバーが振った《リンツ》のごとく楽しくウキウキする、といった流麗タイプの演奏では無論ありませんが、特筆すべき名演で、各パートのバランスはほぼ完璧といってよいでしょう。オーケストラの力量もたいしたもんです。
第2楽章は淡々としつつも、展開部以降の音作り、中低音域の深い響きは、ヴァントにしては歌い過ぎの感あるも、嫌味でなく、まったく間然とするところがありません。亭主、感嘆いたしました。
《プラハ》、第39番も《リンツ》に準ずる名演といえるでしょう。晩年のヴァントがギュルツェニヒ管とのこれら一連の古い録音を自身高く評価していたことについては、前回の引用文から明らかですが、第40番のところでも一言したように、ちょっと神経質といえばその通りでして、襟を正しすぎている感は確かにあります。昔と今との演奏を自身ふり返って以下のように述べております。
しかし、違いもあるのです。ときどき思うのですが、以前の私はおそらくあまりにも慎重で、あまりにも知的なコントロールのことを考えすぎていて、いずれにしても自分の音楽的な情動を、今日の私ほどには自由に走らせていなかったようです。私は厳しくコントロールされた情動と知性のバランスを望んでいました。 (『ギュンター・ヴァント―音楽への孤高の奉仕と不断の闘い―』、p.221)
おのが演奏への如上の感想は、まことに当を得ておりますが、昨今流行の似非原典主義的な無個性演奏とは明確に一線を劃するものでありまして、何度も申しておるヨッフム晩年の音盤とともに(だいぶ性格は違いますが)、モーツァルト・シンフォニーのバランスを理想的に再現したモダン・オケによる名演として、この《リンツ》他はながく亭主の愛聴すべき名盤となるでしょう。
ちなみに、ヴァントは、先輩オイゲン・ヨッフム(1902-1987、長年ドイツ・ブルックナー協会総裁!)の、少なくともブルックナー演奏についてはあまり(まったく?)評価していなかったフシがありますね。
ザイフェルトの著書に引く『アーベントツァイトゥング・ミュンヘン』紙のインタビュー内で、ヴァントは、ヨッフムのブルックナー演奏について「神秘主義の上塗り…名だたるお香の壺」と評しています(前掲訳書、p.306-7)。「香壺」が何を意味するかは、別の箇所での発言を読むとわかります。
そうなると人々は、(ブルックナー交響曲の)力強いクレッシェンドや、音響の堆積や、管楽器のコラールといった『立派な個所』だけに立ち止まり――そして荘重な典礼やらお香のたちこめる儀式やらを思い描くようになる。一部の聴衆にとっては、これが今なお普通のブルックナー像なのだ、残念ながら! (同、p.358)
ヴァントがハンブルクに移った頃録音されたヨッフム晩年のモーツァルト・シンフォニー(82〜84年録音)を、彼が聴いていたのかは不明ですが、もし知っていたとしたらどんな感想をもつにいたったか、たいへん興味あるところです。ヨッフムが指揮したバンベルク交響楽団とヴァントとは、長く良好な関係を保ってきていましたし、なんと1981年、ヴァントにはバンベルク交響楽団と北ドイツ放送交響楽団との両主席指揮者の地位が提示されていたのですから(結局後者を選択したわけですが、仮に前者を選んでいたら…)。
ところで、今回掲げた4盤のうち、《ハフナー・セレナード》が一番古く、かつこれがヴァント最初の録音とされるものです。つまり、音楽的原体験とともにヴァントの録音史もモーツァルトから始まったというわけですね。
ただし、録音年には疑義あり。上掲年は、TESTAMENT盤の記載「Aufgenommen:X.1954,Cologne」によったのですが、ザイフェルトの著書附載のディスコグラフィーでは「1952年」となっているのです。本文中(訳書p.216-7)にも曲名は明記されないものの、「1952年、フランスの会社から、ヴァントと彼のケルンの音楽家たちによるレコードが発売され…」とあります(「録音」ではなく「発売」ということは、録音はそれ以前ということになりますね)。
ちなみに、前掲書(p.194-5)によれば、ヴァント―ギュルツェニヒ管は、1952年8月31日から9月14日にかけて、“モントルー国際九月音楽祭”に出演しており、期間中、34人からなるギュルツェニヒ管の室内アンサンブルと「優雅で、簡潔、かつ卓越した」モーツァルトのセレナード(曲名明記なし)を演奏し、聴衆と批評家とを「ひとえに恍惚とさせた」とあるので、あるいはこれを受けて同年のケルン帰還後に録音された、という憶測も成り立ちますね。
まあ、2年の差なぞどうでもいいのでしょうが、ヴァント初の録音、かつそれがモーツァルトだった、ということで少々こだわってみました。重要なのは、モーツァルトのセレナード類が不遇をかこっていた時代にあっても、ヴァントが積極的にそれらを取り上げ、演奏会や録音に臨んでいた、(そして、最後まで演奏し続けた)という事実でありましょう。
若き日のヴァント(SBT1304ジャケット裏表紙)さて、結局3回(+追補1回)にわたってしまった「ギュンター・ヴァントのモーツァルト」も、最後は雑多な情報の羅列になってしまいました。まさか亭主がヴァントについて長々語る日が来ようなぞとは自身思いもよりませんでしたが、そろそろ“おひらき”といたしましょう。
他の作曲家たちに対する私の好みは多くの年月の間に変わったかもしれない。
しかし、モーツァルトは、私にとっては常に音楽における“導きの星”であり続けたのである。
――ギュンター・ヴァントテーマ:クラシック - ジャンル:音楽
- 2008/05/27(火) 19:24:28|
- 指揮者
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