ガリー・ベルティーニの《ハ短調ミサ曲》モーツァルトの二大トルソーである、《レクイエム》と《ハ短調ミサ曲》。いずれも未完であることが悔やまれ、現在まで多様な補訂版・補完版が濫立しております。それらについては、今ここで紙幅を割くわけにはゆきませんが、もしどちらかが完成されていたとしたら…、と選択を迫られれば、迷うことなく《ハ短調ミサ曲》を選びますね。それほど好きな曲ですし、当然《レクイエム》以上の傑作、モーツァルト全作品中にあっても、(未完でありながら)上位にのぼる楽曲だろうと思います。
そんな曲ですから、なかなか満足のゆく演奏に出会うことはありません。架蔵の音盤約30種でもほんの数枚でしょう。そこに先日発売のライヴ演奏盤が届いたのです。
■Phoenix Edition:PE116 (2枚組)
CD1:大ミサ曲 ハ短調 K.427[エーダー版]
アーリーン・オジェー(S)
ドリス・ゾッフェル(Ms)
トマス・モーザー(T)
スティーヴン・ロバーツ(B)
録音:1986年5月31日(ライヴ)
CD2:レクイエム K.626
クリスティーナ・ラキ(S)
ドリス・ゾッフェル(Ms)
ロベルト・スヴェンセン(T)
トーマス・クヴァストホフ(B)
録音:1991年5月18日(ライヴ)
ガリー・ベルティーニ指揮、ケルン放送交響楽団、同合唱団といっても、《ハ短調ミサ曲》の録音は20年以上も前、実はCDでの発売も二度目なのではあります(2年前に独CAPRICCIOからSACDで発売済。入手可)。
亭主としては「マーラー指揮者のベルティーニかあ…う〜ん…」と、特段触手も動かず、購入しなかったところへ、《レクイエム》とカップリングされ別レーベルから廉価となって再発売されたのです。先にベルティーニ指揮の下掲のコンチェルト選集をツァハリス目当てで買ったところ、その指揮振りに納得しないまでも「ほほお〜」と思っていたので、これを機に注文したという次第。
■CAPRICCIO:71069
ヴァイオリン協奏曲第5番 K.219《トルコ風》
ピアノ協奏曲第25番 K.503
フランク・ペーター・ツィンマーマン(Vn)
クリスティアン・ツァハリアス(p)
ガリー・ベルティーニ指揮、ケルン放送交響楽団ガリー・ベルティーニ(1927−2005)は旧ソ連のモルドヴァ共和国生まれ。日本ではマーラーの解釈者として名高く、東京都交響楽団の音楽監督(98−05)も務め、一連のマーラー演奏・録音を遺していました。
ベルティーニは幼少の頃にパレスチナに移住しテルアヴィヴで音楽教育を開始したのち入欧。イタリアを経てパリでメシアンやオネゲルに作曲・指揮等を学んだそうです。
1958年帰国し、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団で指揮者デビュー。その後はスコティッシュ・ナショナル管弦楽団首席客演指揮者(71−81)、エルサレム交響楽団音楽監督(78−86)等を経て、ケルン放送交響楽団首席指揮者(83−91)として同楽団と多くの名演を繰り広げました。特にマーラー交響曲全曲録音は有名ですね(EMI)。
さて今回のモーツァルト。久々に強い感銘を受けた盤となりました。彼の実演に接しようともしなかったおのが不明を愧じいるばかりであります。日本では、ケルン放送響と都響とでマーラーを中心とするコンサートがサントリー・ホールやみなとみらいホールで頻繁に催されていたにもかかわらず、ついに聴かずじまいとなりました。就中《ハ短調ミサ曲》を聴くにつけ、声楽付きのマーラーはすばらしかったであろうと想像します。2005年、テルアヴィヴにて逝去、享年77。
当盤の聴き所は数々あります。過不足のないテンポ、精妙なバランス、金管群の深い響き、意味のある低音部、独唱と合唱の充実……。なお、重要な役割を果たすソプラノ独唱に、今は亡きアーリーン・オジェーがあたっており、ホグウッド盤(L’OISEAU-LYRE、88)での歌唱以上のでき。難曲「エト・インカルナートゥス」も見事にこなしております。
しかし、なにより一番は完成度のきわめて高いライヴであることでしょう。しかも音盤上では時としてシラけることにもなり得る空回りした熱気の発散が微塵もなく、かわって立ち現れるは透徹としたブロンズのトルソー。その凝縮された筋肉の躍動感に、かえってこちらがじわじわ熱くなるといったふうなのです。
《ハ短調ミサ曲》の名盤がここに加わりました。そうして今、続く《レクイエム》に針をおろそうとしているのです……
テーマ:クラシック - ジャンル:音楽
- 2008/08/01(金) 15:05:07|
- 指揮者
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シギスヴァルト・クイケンによる最新(2000’ s)モーツァルト演奏5種(その2)本日、こちらも梅雨入りしました。バイウは“黴雨”とも書くように、見えないものが旺盛となるころでもあり、人間には少々鬱陶しいですが、戸外への欲求が抑えられる分、音盤謹聴にはもってこいかもしれませんね。さて、続きを…
■AMATI:ami2301-3(2004年7月2・4日、ライヴ)★★ *SACD
歌劇《魔笛》 K.620
イゾルデ・ジーベルト(夜の女王)、スージー・ル・ブラン(パミーナ)
クリストフ・ゲンツ(タミーノ)、コルネリウス・ハウプトマン(ザラストロ)
シュテファン・ゲンツ(パパゲーノ)、マリー・クイケン(パパゲーナ)他
シギスヴァルト・クイケン指揮、ラ・プティット・バンド《コシ・ファン・トゥッテ》(ACCENT、92)、《ドン・ジョヴァンニ》(ACCENT、95)、《フィガロの結婚》(ACCENT、98、以上いずれもBRILLIANTから再発)と、数年おきにモーツァルトのダ・ポンテ三部作をライヴ録音してきたクイケンが、ついに《魔笛》を手がけました。

*上掲盤、左より《コシ・ファン・トゥッテ》、《ドン・ジョヴァンニ》、《フィガロの結婚》
いずれ亭主にもその佳さがわかるときが来るのでは、との予感はあるものの、これまでしっくりと来ず、たいがい途中で放り出していたクイケン指揮のオペラ。しかし、今回の《魔笛》は意外に聴き通せました。2004年ボーヌ国際バロック・オペラ音楽祭におけるライヴ演奏ですが、拍手などをきれいにカットして(しまって)いるので、残響が多い割にはライヴの感興はありませんね。
話題となったのは、まず前回述べたゲンツ兄弟がタミーノとパパゲーノとなったこと。つまり第2幕を中心にこの兄弟二人でのやりとりが多くなるわけです(そうした状況が観客にウケている雰囲気はあまりつかめません)。
また、なんとクイケンの娘さんマリー・クイケンがパパゲーナになっています。解説によるとマリーはヴェロニカと姉妹とのことなので、ヴィーラントの娘さんかなあ(シギスヴァルトの娘となっている記事もあり)。今回の演奏では、ヴェロニカ・クイケンは第2ヴァイオリン、シギスヴァルトの娘サラ・クイケンは第1ヴァイオリンを弾いております。
もしや、曲が曲だけにフラウト・トラヴェルソをバルトルド・クイケンが…、と期待しましたが、それはありませんでした。それでもクイケン一家畏るべし。ちなみに、相変わらずラ・プティット・バンドには日本人も多く、メンバー表を見る限り6人が参加していますね。
演奏としては、実はクリストフのタミーノを含めてかなりの歌手陣が弱体で、本来ならば聴いていられない駄演となる可能性大なのでしょうが、元来、ジングシュピール《魔笛》は宮廷歌劇場ではなく、場末の小屋とまではいわずとも郊外劇場での歌芝居でしょうから、ちょっと素人臭いくらいが、朗々と大仰に歌いまわすよりは好ましいのかもしれませんね。亭主個人としては、次回はぜひ《ポントの王ミトリダーテ》K.87の演奏・録音を望みます。最近発売された(といっても録音は97年のライヴですが)ノリントン指揮カメラータ・ザルツブルクの同曲演奏(ORFEO)が、期待はずれだったので…。
なお、夜の女王の入退場につきものの雷鳴は、当演奏ではなんだか薄い鉄板を叩き、しならせているようで、少々間抜けな感じ。それがチープな味わいを出していて、きわめて美しく響くグロッケンシュピールとともに芝居小屋の雰囲気を醸しています。もっとも、音響やスペクタクルな装置に工夫を凝らしたシカネーダーらしいので、その一座で初演された際は、もっとリアルな雷鳴を派手に轟かした“外連味”あふれる舞台だったのではないでしょうかねえ。
最後は、まさしく最新録音です。
■ACCENT:ACC24187(2006年)★★★
・カッサシオン第1番 K.63
・ディヴェルティメント第7番 K.205
・カッサシオン第2番 K.99
シギスヴァルト・クイケン指揮、ラ・プティット・バンド既述のごとく、さほどクイケン―ラ・プティット・バンドのファンではない亭主でありますが、大好きなK.63のカッサシオンということで、当盤は勇んで購入しました。初期作品(13歳時)であり、かつ不思議なジャンルながら、これはほんとうに佳曲!
その語源すら定説のないカッサシオン。モーツァルトの場合はいわゆる“フィナール・ムジーク”だったようですね。つまり、ザルツブルクにおいて大学が終了する8月、大学教員や領主=大司教を表敬しながら夜まで街を練り歩く際に、学生らによって奏でられた音楽ということです。記録(ザルツブルク大学ギムナジウム議定書)によれば、1769年8月6・8日に、哲学科・物理学科両学生により奏されたそうです。
冒頭の行進曲(転調が効いています)を含めて全7楽章におよぶ楽曲ですが、白眉は第5楽章アダージョ。ヴァイオリンが美しく歌い上げます。おそらく学生のうちで最も上手なやつがご指名に与ったのでしょうね。
さて、演奏はごく少人数によるもの。亭主の同曲ベスト盤…、とはいえないものの、満足のゆく演奏でした。モーツァルトにあっては日頃かなり禁欲的なクイケンが、ふんだんに装飾をちりばめていて、これは驚きました。ヴァイオリン・ソナタでもまったくといってよいほど装飾を加えなかったのに…。
ほぼ同時期にクイケン盤収録曲と競合する以下の盤が録音され、ともに必聴です。少々ネチッとした節回しが癖になるバンキーニ―アンサンブル415によるK.63、《グラン・パルティータ》で名演を聴かせてくれたゼフィロによるK.205。どちらもクイケン盤よりも濃厚ですが、それぞれに妙味があり、聴き比べて楽しめばよいでしょう。
■ZIGZAG TERRITOIRES:ZZT060301(2005年)
・セレナータ・ノットゥルナ K.239、 カッサシオン K.63、 コンチェルトーネ K.190
アンサンブル415、キアラ・バンキーニ(リーダー) *セレナータ・ノットゥルナ第3楽章は、
当然のことながら各楽器の即興的アインガング入り。
■DHM:88697126102(2006年)
・ディヴェルティメント第2番 K.131、行進曲 K.290、
ディヴェルティメント第7番 K.205、同第11番 K.251
ゼフィロ、アルフレード・ベルナルディーニ(リーダー) *管の名手が集うゼフィロだけに、ナチュラル・ホルン活躍の曲がセレクト。
K.131ではホルン4本(!)が咆哮します(人によっては受けつけないでしょうね)。
それにしても、上掲盤を聴くにつけよぎるのは、こんな曲が実際に演奏できたら、さぞや楽しいだろうなあ、というもの。昔は何とも思わなかったK.205のディヴェルティメントも最近はかなり好んでいるのですが、いやあ、こういう曲を気心知れた少人数で合奏できたら……、それこそ“知音”というものでしょう。
以上、シギスヴァルト・クイケンによる最近のモーツァルト演奏を簡略ながらご紹介しました。なくて残念だったのは、宗教曲です。亭主としては、クイケンにはもっとモーツァルトの“合唱曲”を演奏してもらいたいのですがね。前回触れたオランダ室内合唱団との《レクイエム》も名演でしたけれど、実は亭主のクイケンの全モーツァルト演奏のベストは、《アヴェ・ヴェルム・コルプス》K.618なのですよ。わずか数分の曲であり、カンタータ《悔悟するダヴィデ》K.469の佳演の余白に入れられた演奏です(DHM、85)。

カンタータ《悔悟するダヴィデ》
《アヴェ・ヴェルム・コルプス》
たった45小節の小品にこめたクイケンの思いの深さに打たれます。なかんずく「in mortis(死の試練に)」の個所は、ソプラノが2点ニ音からホ音へと上昇し、そそり立つ十字架を想起させるのですが、最良のテンポ設定のなか、このあたりの聴かせ方は他盤を冠絶しております。
最晩年の傑作《アヴェ・ヴェルム・コルプス》は、旧態ポリフォニー音楽の優位を主張し、モーツァルトのような宗教曲を排撃したアンブロースをして「かのパレストリーナさえも、この曲の前では深く感じ入らざるを得ない」といわしめた曲。そのゆえんをこれほど感じさせる演奏は、そうそうありません。
テーマ:クラシック - ジャンル:音楽
- 2008/06/19(木) 20:34:54|
- 指揮者
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シギスヴァルト・クイケンによる最新(2000’ s)モーツァルト演奏5種(その1)過日の地震は、この辺りは大きな被害はなかったものの、けっこう揺れました。かように自然災害が続くと、“天譴”ではないかと疑いたくもなります。お見舞いありがとうございました。
さて、先月のラ・プティット・バンド来日公演(大阪)に行った友人から、「最近のクイケンには、どんなモーツァルト演奏があるの?」との質問がありました。寺神戸亮のモーツァルトを取り上げるにあたっては、どうしても頻繁に師クイケンに触れざるを得ないので、実はさほど熱心な聴き手でもなかった亭主でありながら、このところ当亭において名前が頻出しておりました。以前購入した音盤をだいぶ聴き直しました。
友人の云う“最近”とはいつ頃か決めづらいところですが、シギスヴァルト・クイケンのモーツァルト録音歴は、70年代から開始され、約30年になりますので、ここでは録音数とも勘案し、“最新”というほどでもありませんが、2000年代に録音された亭主架蔵の音盤を以下年代順に2回でごく簡単に紹介しましょう。
*亭主のお薦め具合を★数で添えておきます(無印・★・★★・★★★の4段階)。
■DHM:82876 55782 2(2001年)★
アリアとデュエット集
・《コシ・ファン・トゥッテ》〜グリエルモ、フェルランドのアリア・デュエット
・《偽りの女庭師》〜ナルドのアリア
・《ドン・ジョヴァンニ》〜ドン・ジョヴァンニのカンツォネッタ
・《悔悟せるダヴィデ》〜アリア
・コンサート・アリア K.431、513、209、541、420 クリストフ・ゲンツ(T)、シュテファン・ゲンツ(Br)
シギスヴァルト・クイケン指揮、ラ・プティット・バンドなかなかに人気のドイツの若手ゲンツ兄弟を迎えての“アリアとデュエット集”。70年代生まれの兄弟は、ともに聖トーマス教会聖歌隊出身で、清澄な歌い口が持ち味。ジャケットからすると、兄弟競演(対決?)ということなのでしょうね。最近のクイケンお気に入りの歌手のようで、頻繁に起用しています(後述《魔笛》でも)。
演奏は伴奏ともども爽やかにまとめた一枚ですが、数曲のコンサート・アリアではもっと彫りの深い表現が求められましょう(特にクリストフは浅過ぎ)。とはいえ男声による同種の企画は少ないので、その点では貴重。伴奏は、モーツァルト・オペラにも経験が深いクイケンだけあって、さすがに過不足ないサポート。むしろこちらを聴く音盤かもしれませんね。
それにしても、どうもクイケンはテノールのアリアに思い入れが強いらしく、かつてクリストフ・プレガルディエンと一度モーツァルト・コンサート・アリア集を録音しております(VIRGIN、88)。現在大人気、引っぱりだこのプレガルディエンですが、20年前の当歌唱はナマ硬くいただけません。彼ならばミチ・ガイック指揮、オルフェオ・バロック・オーケストラとの再録音(CPO、01)の方がずっと素晴らしいですね(ちなみにカップリングの交響曲第1番はなかなか刺激的な演奏)。これはお薦め。

VIRGIN盤(88年)

CPO盤(01年)
続いて、クイケン弦楽四重奏団としての演奏を…

■CHALLENGE CLASSICS:SACC72121(2003年)★ *SACD
《レクイエム》 K.626
【弦楽四重奏曲版:リヒテンタール編曲】 クイケン弦楽四重奏団
シギスヴァルト・クイケン(Vn)
フランソワ・フェルナンデス(Vn)
マルレーン・ティエルス(Va)
ヴィーラント・クイケン(Vc)20年ほど前、《レクイエム》(バイヤー版)のライヴ録音(ACCENT、86)で、アーノンクール盤(バイヤー版)とは違った意味で衝撃的な演奏を聴かせてくれたクイケン。多様な補正版によるピリオド楽器演奏の《レクイエム》がまったく珍しくなくなった現在においても、この音盤の価値は減じていません。声高に叫ばない演奏は、冒頭“イントロイトゥス(入祭誦)”におけるバスの深い歩みで一聴明らか。

クイケン指揮による《レクイエム》 (86年)
(バイヤー版)
さて、紹介盤は、元祖モーツァルティアンのひとりペーター・リヒテンタール(1780-1853)による《レクイエム》の“弦楽四重奏編曲版”。医者で役人でもあった彼は、モーツァルトの息子カールと交流があり、モーツァルト音楽の普及に努めたようです。
この編曲版を用いての初録音は、アグライア弦楽四重奏団によるものですが、この盤を皮切りに録音が陸続生まれ、現在つごう4種が知られます。楽曲自身の人気と編曲の妙(巧妙・珍妙の二重の意味で…)とがあいまってのことかと察せられます。
演奏会で全曲取り上げるたぐいの曲ではないと思いますが、今後は弦楽四重奏団の録音レパートリーとして定着するかもしれませんね。あるいはこのまま少人数の弦楽合奏としてもよいと思います。最近、「弦楽のためのアダージョとフーガ」ハ短調 K.546で佳演を聴かせてくれたアンドリュー・マンゼ―イングリッシュ・コンサート(HMF、03)や鈴木秀美―オーケストラ・リベラ・クラシカ(TDK、03)に是非とも演奏してもらいたいですね。
■STRADIVARIUS:STR33470(1997年)
アグライア弦楽四重奏団
*ピリオド楽器による演奏。おそらく同曲の世界初録音。
カップリングはピアノ協奏曲第20番[ピアノ五重奏曲版]。
フォルテ・ピアノは、エンリコ・ガッティとのヴァイオリン・ソナタ集
(ARKANA)で知られるラウラ・アルヴィーニ。
■ORF:CD473(2006年)
ストリングフィッツ
*女性4人によるカルテット。
■ARSIS:Arsis4197(2006年)
アルバーダ弦楽四重奏団
*ピリオド楽器による演奏。亭主は、2006年録音の最新2盤よりも、いまだ初めのアグライア盤をよく聴きますが、クイケン盤の評判が良いようですね。クイケン弦楽四重奏団の《ハイドン・セット》(DENON、90-92)がお好きな向きにはお薦めします。前掲《レクイエム》といっしょにお聴きください。兄弟・夫婦・愛弟子によるクイケン弦楽四重奏団は1986年結成だから、もう活動は20年を越えたのですね…。
■CHALLENGE CLASSICS:SACC72145
(K.581・407:2003年、K.370:2004年) *以下楽曲ごとに★評価、SACD
・クラリネット五重奏曲 K.581
・ホルン五重奏曲 K.407 ★★★
・オーボエ四重奏曲 K.370 ★ ロレンツォ・コッポラ(Cl)
ピエール・イヴ・マデュフ(Hrn)
パトリック・ボージロー(Ob)
クイケン弦楽四重奏団
シギスヴァルト・クイケン(Vn)
フランソワ・フェルナンデス(Vn:K.581、Va:K.407)
マルレーン・ティアース(Va)
ヴィーラント・クイケン(Vc)クイケン弦楽四重奏団に管楽器の名手を迎えての室内楽名曲集。たとえばクラリネットのコッポラは、あのヘープリッチのお弟子さん。活溌なフライブルク・バロック・オーケストラ団員で、以前《グラン・パルティータ》の名演として紹介したアンサンブル・フィリドールのメンバーでもあります。なお、低音部復元譜による演奏。
ということで、かなり期待して購ったのですが、クラリネット五重奏曲については、う〜ん…でした(期待が大きすぎたか)。各楽曲とも亭主イチオシのピリオド楽器演奏盤がありますが、それらを超えるものではありませんでした。しかし、フィリドールのメンバー、マデュフ独奏によるホルン五重奏曲はたいへん素晴らしいです。この演奏には★★★をあげたいですね。ナチュラル・ホルンの奔放な響きが好きな人にはお薦めです。
― つづく ―次回、(その2)では、《魔笛》とこれぞ最新録音のカッサシオンとをご紹介します。
テーマ:クラシック - ジャンル:音楽
- 2008/06/16(月) 16:45:30|
- 指揮者
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ギュンター・ヴァントのモーツァルト(その3)さて、間があいてしまいましたが続けましょう。
■TESTAMENT:SBT1304 *STEREO
交響曲第35番 K.385《ハフナー》 [1961]
交響曲第40番 K.550 [1959]
交響曲第41番 K.551《ジュピター》 [1957]第35番《ハフナー》は、軽快なアンダンテと遅めのフィナーレとの対比がおもしろいですね。特にアンダンテの楽しさは無類。ファゴットが味わいを出しております。だいたい、この時代のドイツ地方オケの管楽器(特にオーボエやファゴット)の音色は、郷愁をそそるような鄙びた響き……悪く云えば田舎くさい、洗練されていない音、ということなのですが、それらが弦楽器から一定の距離感(音質上の)をおいて浮かびあがる瞬間は、なんとも風情があります。
《ジュピター》は少々古いステレオ。奥行きのないチープな響きが独特で好悪が分かれましょうが、第40番となると、これは好き嫌いを超えてスゴイ演奏ですねえ。風通し良好なる演奏なので、ひとによりかなり神経質な響きに聞こえるでしょうが、神韻渺々たる清冽さは、若々しいというよりも、もう既に枯淡の境地。亭主としては晩年(1994年)、北ドイツ放送響との録音よりも好きですね。「ギュンター・ヴァントのモーツァルト(2)」の冒頭に掲げた『世説新語』の嵆康評は、このト短調シンフォニーを聴いたときに、ことさら強く思い起こされた譬喩なのです。
アンダンテは、くどく歌うことはまったくなく、孤独な歩みのよう…メヌエットのトリオ部分は、きわめて素っ気なく通り過ぎるも余韻をのこす…などなど、一聴瞠目せしむ、というハッタリは微塵もありませんが、聴くほどに効いてきます(毎回聴こうとは思わないけれど)。半世紀も前に、こういう演奏はウケたんでしょうかねえ…。この辛口、否、「上善如水」的レコードがフランスのご家庭に配られたというのが信じられません。
■TESTAMENT:SBT1305 *STEREO
交響曲第36番《リンツ》 K.425 [1961]
交響曲第38番《プラハ》 K.504 [1961]
交響曲第39番 K.543 [1961]今回紹介の4音盤から亭主が一枚選ぶとしたら、この盤でしょう。実は、ちょうど同年の1961年、ヴァントよりも10歳年上のオイゲン・ヨッフムがアムステルダム・コンセルトヘボウ管と《リンツ》《プラハ》を録音しております(PHILIPS:UCCP3290国内盤)。後年、バンベルク交響楽団と一連の大名演を残すことになるヨッフムですが、61年録音についていえば、このヴァント盤におよびませんねえ(ヨッフム61年盤も同傾向の演奏であり、けっして悪くはありませんが)。
《リンツ》第1楽章を一聴すれば、それは歴然。一連の演奏同様、ふっくらした響きはなく、たとえばクライバーが振った《リンツ》のごとく楽しくウキウキする、といった流麗タイプの演奏では無論ありませんが、特筆すべき名演で、各パートのバランスはほぼ完璧といってよいでしょう。オーケストラの力量もたいしたもんです。
第2楽章は淡々としつつも、展開部以降の音作り、中低音域の深い響きは、ヴァントにしては歌い過ぎの感あるも、嫌味でなく、まったく間然とするところがありません。亭主、感嘆いたしました。
《プラハ》、第39番も《リンツ》に準ずる名演といえるでしょう。晩年のヴァントがギュルツェニヒ管とのこれら一連の古い録音を自身高く評価していたことについては、前回の引用文から明らかですが、第40番のところでも一言したように、ちょっと神経質といえばその通りでして、襟を正しすぎている感は確かにあります。昔と今との演奏を自身ふり返って以下のように述べております。
しかし、違いもあるのです。ときどき思うのですが、以前の私はおそらくあまりにも慎重で、あまりにも知的なコントロールのことを考えすぎていて、いずれにしても自分の音楽的な情動を、今日の私ほどには自由に走らせていなかったようです。私は厳しくコントロールされた情動と知性のバランスを望んでいました。 (『ギュンター・ヴァント―音楽への孤高の奉仕と不断の闘い―』、p.221)
おのが演奏への如上の感想は、まことに当を得ておりますが、昨今流行の似非原典主義的な無個性演奏とは明確に一線を劃するものでありまして、何度も申しておるヨッフム晩年の音盤とともに(だいぶ性格は違いますが)、モーツァルト・シンフォニーのバランスを理想的に再現したモダン・オケによる名演として、この《リンツ》他はながく亭主の愛聴すべき名盤となるでしょう。
ちなみに、ヴァントは、先輩オイゲン・ヨッフム(1902-1987、長年ドイツ・ブルックナー協会総裁!)の、少なくともブルックナー演奏についてはあまり(まったく?)評価していなかったフシがありますね。
ザイフェルトの著書に引く『アーベントツァイトゥング・ミュンヘン』紙のインタビュー内で、ヴァントは、ヨッフムのブルックナー演奏について「神秘主義の上塗り…名だたるお香の壺」と評しています(前掲訳書、p.306-7)。「香壺」が何を意味するかは、別の箇所での発言を読むとわかります。
そうなると人々は、(ブルックナー交響曲の)力強いクレッシェンドや、音響の堆積や、管楽器のコラールといった『立派な個所』だけに立ち止まり――そして荘重な典礼やらお香のたちこめる儀式やらを思い描くようになる。一部の聴衆にとっては、これが今なお普通のブルックナー像なのだ、残念ながら! (同、p.358)
ヴァントがハンブルクに移った頃録音されたヨッフム晩年のモーツァルト・シンフォニー(82〜84年録音)を、彼が聴いていたのかは不明ですが、もし知っていたとしたらどんな感想をもつにいたったか、たいへん興味あるところです。ヨッフムが指揮したバンベルク交響楽団とヴァントとは、長く良好な関係を保ってきていましたし、なんと1981年、ヴァントにはバンベルク交響楽団と北ドイツ放送交響楽団との両主席指揮者の地位が提示されていたのですから(結局後者を選択したわけですが、仮に前者を選んでいたら…)。
ところで、今回掲げた4盤のうち、《ハフナー・セレナード》が一番古く、かつこれがヴァント最初の録音とされるものです。つまり、音楽的原体験とともにヴァントの録音史もモーツァルトから始まったというわけですね。
ただし、録音年には疑義あり。上掲年は、TESTAMENT盤の記載「Aufgenommen:X.1954,Cologne」によったのですが、ザイフェルトの著書附載のディスコグラフィーでは「1952年」となっているのです。本文中(訳書p.216-7)にも曲名は明記されないものの、「1952年、フランスの会社から、ヴァントと彼のケルンの音楽家たちによるレコードが発売され…」とあります(「録音」ではなく「発売」ということは、録音はそれ以前ということになりますね)。
ちなみに、前掲書(p.194-5)によれば、ヴァント―ギュルツェニヒ管は、1952年8月31日から9月14日にかけて、“モントルー国際九月音楽祭”に出演しており、期間中、34人からなるギュルツェニヒ管の室内アンサンブルと「優雅で、簡潔、かつ卓越した」モーツァルトのセレナード(曲名明記なし)を演奏し、聴衆と批評家とを「ひとえに恍惚とさせた」とあるので、あるいはこれを受けて同年のケルン帰還後に録音された、という憶測も成り立ちますね。
まあ、2年の差なぞどうでもいいのでしょうが、ヴァント初の録音、かつそれがモーツァルトだった、ということで少々こだわってみました。重要なのは、モーツァルトのセレナード類が不遇をかこっていた時代にあっても、ヴァントが積極的にそれらを取り上げ、演奏会や録音に臨んでいた、(そして、最後まで演奏し続けた)という事実でありましょう。
若き日のヴァント(SBT1304ジャケット裏表紙)さて、結局3回(+追補1回)にわたってしまった「ギュンター・ヴァントのモーツァルト」も、最後は雑多な情報の羅列になってしまいました。まさか亭主がヴァントについて長々語る日が来ようなぞとは自身思いもよりませんでしたが、そろそろ“おひらき”といたしましょう。
他の作曲家たちに対する私の好みは多くの年月の間に変わったかもしれない。
しかし、モーツァルトは、私にとっては常に音楽における“導きの星”であり続けたのである。
――ギュンター・ヴァントテーマ:クラシック - ジャンル:音楽
- 2008/05/27(火) 19:24:28|
- 指揮者
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ギュンター・ヴァントのモーツァルト(その2) 肅肅如松下風、高而徐引。 肅肅として松下の風、高くしておもむろに引くがごとし。
巌巌若孤松之独立。 巌巌として孤松の独立するがごとし。
これらは、“竹林の七賢“のひとり魏の嵆康(223-262)の風采に秀でたさまを同時代人が自然の譬喩をもって評したものです(『世説新語』容止篇)。
ギュンター・ヴァントが遺した半世紀も前の録音群を聴き返しながら、如上の評語が何度も思いおこされました。
ヴァント生前からCD化が待望されていたギュルツェニヒ管弦楽団との一連の録音が、死の翌年、ライセンスを受けた英TESTAMENTから次々と発売。モーツァルトにあっては、シンフォニーを中心に全11曲が含まれ、いずれも丁寧な復刻により優秀な音質で名演がよみがえりました。1954年から1965年にわたる録音で、セレナード2曲を除いてすべてステレオです。亭主個人としては、後年のBMGによる最新デジタル録音よりもずっと良好な音質であり、ヴァントの美点を存分に伝えていると思います。
50年代から60年代初頭といえば、モーツァルト生誕200年(1956)を挟み、かつステレオ録音が本格化した時代であって、往年の名演が陸続生まれた頃ですよね。
ワルター(コロンビア響)、セル(クリーヴランド管)、クレンペラー(フィルハーモニア管)、ベーム(ベルリン・フィル)、ヨッフム(アムステルダム・コンセルトヘボウ管)等々のモーツァルト・シンフォニー録音が誕生しました。
これらは、近年のピリオド楽器による演奏が主流となる中にあっても(否、だからこそ)、価値を失わない定盤として、LP→CDと長年にわたり各国で再発され続けてきました。しかし、取り残されてしまった幻の名演もたくさんあるのであって、それらはどうやら演奏云々ではなく、原盤所有者のマイナー性・ローカル性に起因しているように思われるのです。
TESTAMENT復刻によるこの一連の録音は、フランス・ユニバーサル傘下のミュジディスク原盤ですが、もともとはクラブ・フランセ・デュ・ディスク(Club Français du Disque)が制作したものです(モーツァルト11曲を含む全43曲が録音された)。この会社は、フランス国内の「会員制」の書籍・レコード販売会社であり、予約した定期購買の顧客にむけて商品を届けるわけですから、レコード店の棚にLPなりが置かれることはなかったのですね。ヴァント―ギュルツェニヒ管のレコードは、初めからコロンビアやEMIといった大手の国際的商業ベースに乗らなかったのです。
もちろん60年代の終わりに権利が、これまた大手とはいえない仏ミュジディスク社に譲渡された後には、一般にもLPが発売されましたが、とくに普及しないまま、ヴァント生前には結局CD化もされずにあったのです。このことは、(まったくの推測ですが)ヴァントの意向によるものではない、と思います。というのもヴァントは晩年のインタビューで、この古い録音群について次のように発言しているからです。少々長文の引用になります…
この共同作業は全体として、私にとってとても素晴らしい仕事でしたし、芸術的な成果も抜群に満足のいくものでした。今でも私は、これらの録音を――現在の私の演奏とも、それにもちろん現代のデジタル技術とも違うのですが――素直に聴けますし、恥ずかしく思うこともありません。……とにかく、何年後になっても点検されるとすれば、演奏技術面で完璧であるだけでなく、とりわけ聴いて価値のあるものを作るようにしないといけないと考えていました。偶然的なものではなくまともなものを、瞬間的な思いつきの記録などではなく(「芸術家の気まぐれ」などお話になりません)、何か意味あるもの、あとになっても落ち着いて向き合えるようなものを作りたいと望んだのです。……私がオーケストラの演奏において、コンサートでもレコードでも同じように正しさと完璧さを最も重視していることに気がついてほしいのです。これらのレコードは何年後になっても聴けるものでありたいし、いつまでも価値あるものであってほしいのです。今日これらの古い録音をもう一度売り出したとしても、人々はすぐに、指揮者が、新しいCDに登場しているのと同じ人物であることに、気づかれると思います。 (ヴォルフガング・ザイフェルト:根岸一美訳『ギュンター・ヴァント―音楽への孤高の奉仕と不断の闘い―』、p.220-221、音楽之友社、2002)
その昔、亭主がLPで聞き流して以来、どれくらい経ったでしょう。今回、一連のTESTAMENT復刻盤4枚を聴き返して、上掲の言葉の前に深く反省いたしました。
音楽評論家でピリオド楽器によるモーツァルト演奏に造詣の深い安田和信氏が、だいぶ以前、あるライナー・ノート(アーノンクール関係)で、
90年代に入ると、歴史的楽器によるモーツァルト演奏にも我々の耳は馴染んできた。とくに録音の多い後期の交響曲では、新しい録音が現れても、「耳から鱗が落ちる」ような新鮮な体験というものが味わいにくくなったように思われる。かえって「歴史的録音」のほうにハッとさせられることが多い。と書いておられましたが、まさしく亭主の最近の心境と懸隔ない意見であります。この復刻盤は、今となってはやはり一般的なものではなく、皆さんにお薦めする、といった類ではありませんが、亭主のようなものには、非常に新鮮な体験でありました(だいぶ以前一度聞いているはずなのに)。
さて、復刻盤の詳細は以下のようになっています。寸評とともに…
TESTAMENT復刻:ギュンター・ヴァント―ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団のモーツァルト
原盤:クラブ・フランセ・デュ・ディスク(Club Français du Disque)→ミュジディスク(Musidisc)
■TESTAMENT:SBT1302 *MONO
セレナード第7番 K.250《ハフナー》 [1954]
セレナード第9番 K.320《ポストホルン》5楽章版 [1959]《ハフナー・セレナード》は、ヴァント初の録音とされるもの(後述あり)。両曲ともにバイエルン放送響、北ドイツ放送響との録音もあるので、3種ずつ音盤があることになります。こんな指揮者はおそらく唯一でしょう。演奏会では頻繁に取り上げていたようなので、音源としてはなお多く残されているものと思われます。
上掲盤の演奏は、少々神経質な演奏ですね。曲が曲だけに、少し辛口に過ぎる印象です。亭主としては、「ギュンター・ヴァントのモーツァルト(1)」で紹介したバイエルン放送響とのライヴ録音が最高だと思います。死去前年の「ハンブルク・ライヴ2001」の《ポストホルン・セレナード》も燃えておりますがね(90歳老人の演奏とは信じられない!)。

北ドイツ放送響盤《ポストホルン・セレナード》
「ハンブルク・ライヴ2001」所収

■TESTAMENT:SBT1303 *STEREO
セレナード第13番 K.525
《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》 [1957]
交響曲第33番 K.319 [1957]
交響曲第34番 K.338 [1965]ふだん滅多に聴かなくなっている《アイネ・クライネ》が楽しめました。大仰なところのない丁寧な演奏です。終楽章コーダでもバスをゴリゴリと鳴らしたりせず、ほどよいバランスで響かせます。その昔、吉田秀和がジョージ・セルの《アイネ・クライネ》のレコードを期待もせずにかけて覚えず感動した、という相変わらずの“秀和口調”文章を思い出しました。
しかし、実は、このレコードで、ハッとするのは、この面(《ポストホルン》)ではなくて、もう一方のセレナーデ(《アイネ・クライネ》)の方である。この方はお互い、いやになるほど散々にきかされてきたものだし、私など、もうレコードに入っていたって、ほとんどかけたことはない。だが、《ポストホルン》が、あんまりモーツァルトらしくない演奏であり、――というより――少しもモーツァルトらしくやろうとしていない演奏なので、では、この商標みたいにやたら使われてきた、あまりにモーツァルト臭いモーツァルトの音楽を、どうやるのか知らと、私も少々好奇心をそそられてかけてみた。 ところが、これが良いのである。ちっとも、通俗的でなくて、甘ったるくなくて、むしろ必要にして十分なことを、しかしまた、はしのはしまでていねいにはっきりと演奏しているだけで、ほかのことは何もしないのに、毅然として雄々しく、高雅にして、時に荘重でさえある音楽となってきこえてくるのである。 (『レコードのモーツァルト』、中公文庫、1980、上掲文章は、1972年『ステレオ』誌初掲載)
以上の長い引用が、吉田をして「乾燥したロココの味わい」と言わしめたセルの《アイネ・クライネ》評です。これは、ヴァントの《アイネ・クライネ》演奏にもほぼそのままあてはまる、といっていいと思います。もっとも「乾燥した」=「干からびた」、ではないことは当然ですが、セル―クリーヴランド管よりもずっと渋い、やはりドイツの響きなので、亭主としては、「燻(いぶ)されたロココの味わい」とでも呼んでおきましょう。
※長くなったので、続きは(3)にて……(ひと休み) 【つづく】テーマ:クラシック - ジャンル:音楽
- 2008/05/18(日) 21:10:15|
- 指揮者
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